盛岡タイムス Web News 2011年 9月 29日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉12 田村剛一 悲しき知らせ4

 火災も3日目に入り、くすぶっている所はあるもののほとんど延焼の心配はなくなった。というより焼き尽したといった方がよいくらいだ。町の周辺部には家が残ったものの、町の中心部は焼き尽され、焼け野原になってしまった。

  このころから身内のことが気になり出してきた。畳屋のおばは行方不明と聞いたが、家族とは連絡が取れていない。織笠に住むおば一家、それに、田の浜のいとこ…。

  畳屋のおばの娘、私にはいとこが、高台に住んでいる。そこに向かった。沈痛な面持ちで出て来た。「私のせいで…」と涙ぐむ。

  このいとこも地震の時、川向かいの事務所にいた。地震で事務所を飛び出すと、向かいにおば(母親の妹)が立っているのが見えた。このままでは危ないと思い、手を引き、畳屋まで連れて行った。母と義妹がいたので、おばを預け、ひとまず、自分の家に戻ることにした。

  家は高台にある。すこしして津波の襲ってくるのが見えた。まさかと思いながら母親の元に急いだ。旧山田病院の前に来て、生まれた家が津波に襲われ水浸しになっているのが見えた。腰まで水につかりながら家に向かった。

  家に入ると、2階からおばの声はしたが、母親と義妹の姿はなかった。自分が一緒にいれば、こんなことにならなかったと言って嘆く。がんこなおばは大丈夫だと言って2階に上がるのを拒んだようだ。嫁は義母の元を離れられなかったのだろう。

  いとこの家には、あの時2階に上がって助かったおばと、夫が船で沖に避難しているといういとこのいとこ家族が身を寄せていた。この人たちも身内を失っていたのだ。

  おばの方は、娘夫婦が、この津波で亡くなった。逃げれば逃げられたのに…。知人が避難の途中声をかけたそうだが返事がなかったという。夫の体が不自由だったので、2人で家の中にいたようだ。かわいそうな夫婦だ。

  いとこの方も義母は行方不明とのこと。沖に逃げた夫のことは、全く気にしていなかった。無事を信じていたからだ。ところが、そうではなかった。

  翌日一人の漁師に会った。沖に逃げた人の話をすると「いや、俺と一緒に逃げた」と言う。途中まで一緒だったが、家に向かったようだとのこと。家族の元に帰っていないということは、波にのまれた可能性が大だ。そんな悲しい話を家族に告げなければならない。
(山田町)


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