盛岡タイムス Web News 2011年 9月 30日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉13 田村剛一 悲しき知らせ5

 「そのうち沖から帰って来ますよ」と夫の無事を信じている妻やその家族に、無事でないことを告げる役目はつらい。でも、それを聞いた以上、真実を伝えなければならない。

  「沖には出なかったようですよ」。心を鬼にして話した。それを教えてくれた人は、作業小屋が隣同士。いつも顔を合わせる人だ。豊間根小学校に避難している。

  私の言葉を聞くと「沖にいるとばかり思っていたのに…」と言って声を落とした。体調を崩しているだけに痛々しかった。本当に仲のよい夫婦で、2人で養殖漁業を営んでいた。近くを通ると「持って行って…」と言って、シュウリ(ムール貝)をくれた。

  「そろそろ漁師をやめて、孫かてをしながら楽をしたい」と言っていたのに。無事でいてほしいと祈るしかなかった。

  その帰り、家に向かっていると「父を知りませんか」と震災の夜に声をかけられた若者に会った。事務長役をしてもらった知人の息子だ。「まだ見つかりませんか」と声をかけると「まだです」と、沈痛な面持ちである。震災の夜以来、一日中、母親と一緒に父親の姿を探し歩いていた。それでも見つからないということは、波にのまれた可能性が大である。

  父親は町の有名人でもあった。長く県立病院の事務を務め、県のボート協会の理事長。町で知らぬ人はいなかった。

  「事務所の前に一人で立っていました」。津波直前、車で見たという人もいた。かと思うと「駅の前を歩いていました」と言う人も現れた。よく知る知人は、事務所脇に2人で立っていたので「早く避難しなさい」と叫んで通り過ぎたという。

  2人と一緒だったという女性事務員の話では「貴ちゃん、早く逃げろ」と言って避難を促され、すぐに車に乗った。その後「南へ行け」と言われたことが気になるという。南とは南小学校を指すようだ。そこで、落ち合う意味のように理解した。

  しかし、彼女は、逆に家のある北の方向に車を走らせた。それが正解だったようだ。国道の南後方ではすでに水しぶきが上がり、南小学校に通ずる道は車で渋滞し、立ち往生する車が多かったという。いずれにしても、最後まで残った2人は行動をともにしたと思われる。

  「まだ見つかりません」と聞いたとき、もしかして2人は一緒に車に乗り、流されたのではないかと思った。悲しい知らせは増えるばかり。
  (山田町)

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