盛岡タイムス Web News 2011年 12月 1日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉61 田村剛一 隣町大槌1

 「町がなくなった」。安渡トンネルを抜け、目の前の風景を目にした時、一瞬そう思った。前方にも右にも左にも、すっかり家がなくなっていたからだ。「山田以上かも知れない」そう直感した。

  トンネルを出て、道を左に折れた。そこが安渡。小さい頃「安渡は怖いところだ」と言われ育った。恐らく漁師町で、気性が激しかったのだろう。

  ところが、実際、大槌に赴任して、山田の人たちと少しも違わないことに気づき安心した。むしろ、この町の人たちとは、ウマが合ったと思っている。

  この安渡にも、教え子たちはたくさんいるはず。多くは50代前後の働き手になっているはずだ。ゆっくり車を走らせれば、一人ぐらい顔見知りの人に会うかもしれない。そう思いながら車を進めた。しかし、道ばたで人を見かけることはほとんどなかった。

  やむなく赤浜に向かった。ここは一時、チロリン村と言われたところ。どこにもあるのどかな漁村。赤浜の沖合いに蓬莱島がある。この島は井上ひさし原作の「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島と言われ、そこから、赤浜をチロリン村と呼ぶようになったのだ。そのチロリン村が全滅してした。

  蓬莱島と赤浜は、堤防で結ばれ、人の行き来は可能だったが、その防波堤も、今回の大津波で寸断された。その蓬莱島が、海の上にぽつんと浮かんでいてさみしかった。この島に日本で唯一オットセイの供養塔が立っているはず…。

  その対岸の東京大学の海洋研究所も、無残な姿になっていた。建物はそのまま残っていたが、玄関口はがれきの山。中をのぞこうとしたが、がれきで入れな
い。

  裏に回ると、窓ガラスが、めちゃめちゃ。その窓に、流れついた漁網などがぶら下がっている。その光景を眺めていたら、貴重な研究データは無事だったのだろうかと心配になった。

  関係者がいれば、中の状況を聞こうとしたが、それらしい人影は全くなかった。

  そこから赤浜集落へ。一瞬にして目に入ったのが、建物の上に乗っかった大きな船。民宿の屋根の上に、点検のため造船場に停泊中の釜石の観光船はまゆりが、津波で打ち上げられていたのだ。これ一つ見ても、いかに、津波の威力が大きかったかが分かる。

  この写真が新聞でもテレビでも紹介された。それを見て見物に来る人もいるかもしれない。そう思ったが、そんな人は一人もいなかった。被災地の惨状は、それを許す状態ではなかった。ここでも知人と会うことはできなかった。
(山田町)

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