盛岡タイムス Web News 2011年 12月 2日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉53 八重嶋勲夫 予ただ悲しむ、兄が志かく衰えたるか

 ■猪川浩(前回よりの続き)

  80 巻紙 明治35年5月19日付

宛 東京本郷区臺町三六 東北舘 野村長一様
発 盛岡市四ツ家町六九 猪川浩拝
 
○こヽらで一つ運動会の話=五年の餘興としてアーチ(金がかヽった)仁徳天皇の高殿に登りて見れバ煙立つ民のかまどはにきはひにけりの人形を物見の處へ拵へた、四年は北清事件の籠城内に於ける各国軍人の連合戦争をやれり、蓋し当日第一に位いした各国の軍時帰人看護婦などめじ(ず)らしい出来、三年級は悪魔拂ひでエンマ大王、その他澤山鬼か木の葉の衣を着て虎の皮の褌を諦めて樂隊づけて一週すると中へ這入って鬼退治である、それから地球儀これは直径一丈五尺か二丈もあらふといふ地球儀、それに十人許りで鉄砲をうってやるとそれが二つに割けて中から護漠玉が澤山飛んで出る、鳩が三羽足に短冊をつけて飛び出る、そして独りの人形の様な小供が現はれた二つ割れたものか軍艦に化けてマカン飾といふので大いに人を驚かした、勿論これは空中につりってある、二年級は軽気球、大きいもんでした、成功したと言ってもいヽ、それから白虎隊の剣舞十六人でやったのは当日の見物として衆人に歓迎され二度までやった位、一年なし、

新聞午前は大失敗たんだ三枚しか出ぬ、これにハ色々な事情がある、午後は十四枚、これ丈はやヽ前の失敗を復快したつもりだ、新聞社の装飾は幕は赤と白の縫ひ交ぜ、文字は千葉教師をたのみたり、立派に見たのである、教場は去年楽隊の居た處で都合万事よかりしも気のキイたものなくて苦り果てたりし、書く奴ハ僕位ひなものでした、人足バかり多い頭数ばかり多い、

そんな仕末たったから失敗の跡を見せるのはつらいに依って君へはやらぬ、左様承知被下べし、第二の失敗御ていねいに過ぎたものなり、上図の如くワクを取ったものなり、それでそのワクの處から割けてとれた、一つも成功したものはない、それで午後は一斉ワクはよしにしたで漸く成功したが、記事か第一趣味かないたンボーなしであるから自然運動会についてのヘリクツ許りナラベタ、面白くないも無理ハない、併し一回に百枚以上も刷ったのを見てもどんなに多数な人数であったかを記憶し玉へ、
参観人無慮数千人、その盛大なるハ容易に想像すべからずでした、特に田舎の学校から先生が五十くらいつヽ引率して来た(三ツか)、縣立学校は午後休ませてくれたとか、江南義塾でハ休日、高等女学校ハ裁縫してもらったやらで四年が五年か何れ皆女史部ハ校長からの願ひで見える所といふので校長の所へ置いた、矢張数十人、その盛大豈に他学校の遠く及ぶ所ならんやで餘興にハホーフクな事許りありた、
音隊の小屋掛けまでした、

○野に出て遠く田の面旭にてり返へす、畑の中に親子はらからうちのヽしり笑ひつヽ働く若き男女を見ずや、こヽに妙齢の小女と想像し玉へ、この無垢なる玲瓏玉の如キ少女が前途万里の学海に遊べる、即君があるを思ひなみて涙を含みつヽある彼の少女を見すや、予は今朝土渕より帰る途中これ等農家の少女が働くを思ひ出ヽ(て)かなしかりき、兄よ健在なれ無垢なる少女が必ずやこれ等の憂苦あらん、心に彫む處あるべし、これを轉た忍時ハ即ち君何ぞ恋愛をとかんや、何ぞ心に慰藉なしと悲しむを得可けんや、眞の愛といふをやめよ、帰人の慰藉といふをやめよ、眞の愛は友なり、友の愛は父母兄弟の愛に等しきなり、何事をも包まずかくさず眞に語るは友なり、何ぞこれに愛なしと言はんや、予はたヾ悲しむ、兄が志かく衰へたるかと、予は健在なり、宮川君猶ほ健在なり、多幸多福の世何で必しも憂あらんや、自愛せよ幸なれ言ふ事あれど次号にゆづる、原稿としていつかやる、
 
  【解説】青年の熱い思いや願望、悩みを自由奔放に書き放って、取りとめもなく続く手紙である。また、盛岡中学校開校記念日の5月13日に行われる恒例の大運動会の様子を詳しく伝えており、きっと長一は興味深く読んだことであろう。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします