盛岡タイムス Web News 2011年 12月 2日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉62 田村剛一 隣町大槌3

 安渡や赤浜に行けば、教え子の一人や二人には会えるだろう、そうすれば、教え子たちの安否確認ができるのではないか。そう思ってやって来たのだが、それが難しいことに気づいてきた。おそらく、教え子たちも避難所に避難していると思った。

  大槌の避難所は、公民館と大槌高校だと聞いている。それで、そこに向かうことにした。赤浜から安渡に向かう山手の高台に惣川という小さな集落がある。海抜20bはありそうだ。そこに、大槌高校時代の同僚が住んでいる。そこは無事に違いないし、知人たちの情報を持っているかもしれないと思い、寄ることにした。

  絶対無事だろうと思っていた知人の家。だが、そこまで津波が押し寄せた。谷を駆け巡ったという方が正しいだろう。家は床上浸水で済んだが、そこより少し下の人たちが、大勢亡くなったという。「誰も、ここまで津波が来るとは思いもよらなかったことだよ」「みんな大丈夫かな」と聞いた。

  「栄ちゃんと沢さんが行方不明のようだ」という。

  栄ちゃんは大槌高校で10年間同僚であった事務員。沢さんというのは、釜石北高校で同僚だった体育の教師。沢さんは夫婦で犠牲になったようだ。ここで、元同僚2人の死を知った。

  そこから城山の公民館へ。途中、大槌の中心街を通った。見る影もない。全ての窓ガラスが破られ、骨組みだけ残したような町役場、止まったままの時計が、この町を象徴しているように思えた。

  聞くところによると、会議中に地震だということで、会場を外に移して進めようとしたところ、津波に襲われ町長をはじめ、多くの職員が波にのまれてしまったという。何とも痛ましい。

  城山にある公民館への道は、山田と同じ焼け野原。道の両側には、焼け落ちた屋根のトタンが赤さびたまま地面を覆っていた。山田では、トタンの撤去が進められているのに、大槌はまだの感じ。町の主を失った影響が、この辺にも出ているのだろうか。

  公民館の中は、大勢の人でごった返していた。山田の避難所に比べ、混雑ぶりが際立っていた。人を探すどころではなく、すぐ退散した。それから大槌高校へ。

  大槌高校は体育館が避難所になっていたので、勝手知ったる他人の家ということもあり、ひと回りした。しかし、誰一人知っている顔に出会うことはなかった。みんなどこに行ったのだろうか。何となく、いやな予感が走った。
(山田町)


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