盛岡タイムス Web News 2011年 12月 3日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉63 田村剛一 大槌の教え子たち1

 わざわざ大槌にまで出向きながら、教え子たちとは、一人も会えなかったことが、私の心配に拍車をかけた。津波前なら、簡単に連絡がつけられたのに、今はそうはいかない。親しくしている教え子たちのほとんどが、被災地に住んでいたからだ。

  「あの男たち、女たちはどうしているやら」と思っていたところに、電話があった。

  「みんなが先生の声を聞きたいそうで…」。野菜を送ってくれた水沢にいる教え子に電話でお礼を述べた。その時の電話番号がインプットされていたのだろう。

  「みんなが、先生の声を聞きたいといって盛岡に集まっています」。みんなと言ったが、大槌高校の教え子が、5人ばかり集まっていたのだ。

  代わる代わる電話に出た。みんな元気な声で「先生が元気でいてうれしい」と言う。みんな元気そうだったので、誰も犠牲にならなかったのだと思ってしまった。ところが、そのうちの一人の両親が行方不明になっていると聞いてびっくりした。

  「同級生は大丈夫だろうか」と聞くと、「栄子さんが姑(おかあ)さんと一緒に流されたようです」と言う。

  栄子さんというのは、クラスで一番成績のよかった生徒だ。卒業とともに、釜石製鉄所に入社。事務員として働いた。釜石製鉄所に女子生徒が就職するのは、並たいていの成績ではできなかった。それだけ、優秀な生徒だったといえる。

  社会人になって、この教え子は、私の所を二度訪ねている。一度は、何を考えているのか分からないが「会社を辞めて、もう一度勉強したい」と言ってきた。もったいないと思ったが、すでに決断し、入学願書の添付資料をつくってもらうためにやって来たのだ。もちろん一発で合格。

  それから何年かして、また私の前に現れた。

  「カナダに行ってきます」と言う。おとなしい生徒だとばかり思っていたが、たくましく育っていたのだ。それから結婚。もちろん、披露宴に招待された。結婚式は東京だったように記憶している。この教え子が、姑と一緒に流されたという。体の弱い姑の介護をしているとは風の便りに聞いていたが、何とも悲しい教え子の物語だ。

  「幸子さんの両親も見つかっていないようですよ」。幸子という生徒は、毎朝職員室に来ては、机の上を整理してくれた。栃木県の男性と結婚する時、男親は猛反対。しかし、父親が折れて結婚式に出席。帰り、塩原温泉に泊まった。「嫁にやりたくなかった」。そう言って嘆息した。あの時一緒した両親が亡くなったという。悲しい知らせが続く。

  (山田町)


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