盛岡タイムス Web News 2011年 12月 4日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉64 田村剛一 大槌の教え子たち2

 「先生のおかげで娘が助かりました」と言って突然わが家を訪ねて来た男がいる。大槌で3年間担任をした教え子、私のクラスでは同級生同士で結婚したのが2組ある。そのうちの1組、学生時代生徒会長をやった男である。

  「先生のおかげで…」と言われても人を助けた覚えはない。ましてや、教え子の娘とはなおのこと…。

  「先生のアドバイスがなければ、娘は生きていなかったかもしれません…」。この言葉で少し分かりかけてきた。

  5年ほど前のこと、父娘で「あいさつがあります」と言ってわが家を訪ねて来たことがある。聞くと進路のこと。娘は大槌町役場と岩手県警に合格した。そこで、どっちにしたらよいか、父娘で意見が分かれていた。親は地元の大槌町役場に置きたい。娘は県警に行って吹奏楽もやりたい。それを決めかね私の所に来たのだ。「子どもの行きたい方に行かせたらよい。お前もそうしたんじゃないのか」。この一言で一件落着となった。

  今回の津波で大槌町役場は多くの犠牲者を出した。町長をはじめ職員の多くが津波で流された。もし、娘も大槌町職員になっていればあるいは…との思いでやって来たのだろう。

  実は大槌に行ったのは、一つには、この教え子に会いたいと思ったからだ。赤浜に住んでいたので、同級生の消息が分かると思ったからだ。ところが家はなく、どこの避難所に行っているかも分からずただ帰りした。

  「ところで、同級生の消息はどうだ」と聞いた。

  「たつと君が亡くなりました」と聞きびっくり。

  「たつとは盛岡にいたのではないのか」。高校卒業後、伊豆箱根観光に就職し、長い間大槌の筋山にある国民宿舎「大槌荘」に勤務していた。大槌荘を集会や宴会で使う時は特にも便宣を図ってもらった。子どもたちを連れて泊まったこともある。

  大槌荘が営業を停止してからは、盛岡へ出稼ぎに行き、タクシー運転手として働いていた。盛岡二高勤務中は何度か車に乗せてもらったことがある。

  「盛岡から帰ってきた次の日、奥さんと一緒にさらわれたようです」

  わざわざ家に帰って来てさらわれるとは…。奥さんと一緒と聞いて哀れさが増した。盛岡にいれば津波に遭うこともなかったろうに。人の一生は分からぬもの。日がたつにつれ、教え子たちの悲報も増える
ばかりでつらい。

(山田町)


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