盛岡タイムス Web News 2011年 12月 6日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉65 田村剛一 家電を求めて

 少しずつ家の後片付けも進んできた。古い畳でも敷くと、ちぐはぐながら様になる。居間と母親の部屋は、ぜいたくを言わなければ住めるようになった。そろそろ自宅に戻る時がきた。

  まずガスが使えるか見てもらった。ガスが使えれば、電気がなくとも何とかなる。ところが、ガスメーターも台所のガスコンロも水に浸かって使えない。同級生の息子に探してもらうと、タイミングよくすぐ見つけてくれた。

  電気工事も、家のすぐ近くまで進んできた。そろそろ電気もつきそう。それで、配線を点検修理してもらい、その上で、電気製品をそろえることにした。

  冷蔵庫、洗濯機、給湯器、電気釜、ファンヒーター、テレビ、掃除機…すべて海水をかぶり使えない。

  そのうちテレビだけは、一関時代の教え子たちが、支援物資として送ってくれることになっていた。他のものはすべて自力でそろえなければならない。この時は仮設住宅に入る人はいいなあと思った。赤十字でそろえてくれるというのだから…。

  いよいよ電気がつくという日の前日、宮古に行って、電化製品を買い求めることにした。

  最初に手にしたのが、電気釜と洗濯機。震災で物が不足して少々高値と言われたが、高いなどといっては生きていけない。それで、手ごろなものを見つけて買った。

  冷蔵庫も欲しかったが、まだ店もないので生ものは手に入らない。それで後回しにした。それに、知人が、電気店を再開しそうなので、その時、買った方がよいと思った。

  せっかく電気店に来たので、私の携帯電話を見てもらうことにした。みんなの携帯はとっくに通じているのに、私の携帯は、いつも不能の印が出る。

  「これは機種が古くて使いものになりません」。手にした店員にそう言われた。不通の原因はこれだったのだ。

  まだ、一般電話は通じていないので、携帯はどうしても必要だ。それで最も安い携帯電話を手に入れた。私の携帯電話は、電話以外に使うことはないので、通じさえすればよかったからだ。これで、やっと通信が自由にできるようになった。これで、無料電話ともおさらば。

  電気と電話が使えるようになれば、最低限の生活はできる。飲料水は、給水車が運んできてくれる。いよいよ、家に戻る日も近くなった。もう少しで、在宅避難も1カ月になるところだった。
(山田町)

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