盛岡タイムス Web News 2011年 12月 11日 (日)

       

■  〈大震災私記〉68 田村剛一 故郷思う人たち

 家の後片付けをしていると「先生」と言って玄関に現れた人がいる。私が出ると「よかった、よかった、先生が無事で」。そう言って抱きついてきた。回りには見たことのない若い人がいっぱい。

  この一行、東京で自然保護活動に取り組んでいる人たち。劇団もつくっている。一昨年のこと、私が、三陸の海を放射能から守る運動に携わっていることを知って、講演の依頼をしてきた。せっかくの依頼。快く引き受けることにした。

  そこで、私は青森県六ケ所村に建設された核燃再処理工場から放射能が流されることに反対し、海に放射能を流さない法律制定に向け、請願活動を行っていることを中心に話した。

  その講演会を聞いた時の中心人物が、私に抱きついてきた人。この人、山田の出身で山田高校の卒業生でもあった。直接の教え子でないが、同じ同窓生(?)ということで、私に親近感を持ってくれていたのだ。この人が、仲間を引き連れて、故郷に義援金と、支援物資を運んできてくれたのだ。

  「どこに持って行ったらよいか、先生に教えてもらおうと思って…」。

  聞くと、現金70万円余りと、支援物資。合わせると100万円以上になるということであった。

  さっそく、この人たちを役場に案内した。幸い町長も在庁だったので、町長に手渡しを申し込むと、町長も快く引き受けてくれた。

  せっかく、東京からガソリンも不足した中やってきたので、町長に町の被害状況をこの人たちに話してくれるよう頼んだ。忙しい時であったが、わずかな時間ながら話してくれた。一行は町長に会えたこと、そして短時間ではあるが、町長から話を聞くことができたことに大変感銘を受けたようであった。

  義援金の引き渡しが終わった後、役場の屋上に一行を案内し、そこから、町を眺めてもらった。あまりのひどさに言葉を失ったようだ。一行は「また来ます」と言って、すぐに引き返していった。

  それから間もなくして、東京の叔母からお見舞いが届いた。その中から1万円の入った封筒が出てきた。「これは、山田町に届けてください。若いころ、山田では大変お世話になりましたから」という添え書きがあった。私はすぐにそれを役場に届けた。

  テレビで町の惨状を知った町出身の人たちは、大変心を痛めたようだ。そこで、故郷を思う人たちの中で、知人や叔母のように、義援金や支援物資を町に届けた人は少なくないと言われる。
(山田町)

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