盛岡タイムス Web News 2011年 12月 13日 (火)

       

■  〈大震災私記〉69 田村剛一 赤丸とOKの家

 住民には知らされなかったが、生存者の捜索は震災後1週間ぐらいで終了したようだ。行方不明者のいる家族は、できるだけ長く生存者救出捜索をと願ったようだが、この寒さでは、生存の確率はゼロに近いと判断したのだろう。それも無理はないと思った。

  津波に遭ったとすれば、ずぶ濡れになっているはず。濡れたままでは一日も生きておれない寒さだったからだ。連日、小雪が散らつく真冬並みの寒さ、これでは、一夜を過ごすことさえできない。震災の翌々日救出された人がいるが、これは奇蹟中の奇蹟としかいいようがない。

  それに、そろそろがれき撤去を事務的に進めないと、町の復旧も進まない。それで、生存者の捜索を終了することになったのだろう。

  これで、生存者捜索が完全にストップしたわけではない。遺体捜索に移ったといってもそれに従事した人たちは、生きていてほしい、そう思いながら、がれきの中を探し回ったのだ。

  道を塞いでいたがれきが撤去されるようになり、初めて廃虚と化した中心商店街を歩くことができるようになった。

  道路を歩きながら、初めて気づいたことがある。流されないで残った家や倒壊した家に赤いペンキで○印がつけられていたことだ。

  どういう意味なのか。近くで作業を行っている自衛隊に声をかけた。

  「捜索が終わった家です」ということは、赤い○印がつけられていない家は、まだ捜索が終わっていないことを示していた。

  この印は、私の家の前に流れついた家にもつけられたが、私の家にも前の事務所にもつけられなかった。そのわけを聞くと、片付けをしている人たちの家にはつけないということであった。

  この赤い○印のついた家がどんどん増えていく。それだけでなく、別の文字が目につくようになってきた。流れないで残っている家にOKという文字が書かれるようになったことだ。

  不明者の名簿を見るために、毎日、役場に通っていたので、復旧担当の係に行って、OKの意味をたずねた。「解体OKという意味です」それが答えだった。

  「何の連絡も知らせもなかった」というと「避難所の人たちには知らせてあります」

  さまざまな情報は避難所には伝えられたけれども在宅避難者には、そんな情報は何一つ伝えられていなかった。私もさっそく家に帰り、OKと書いた紙を向かいの事務所に張ることにした。
(山田町)


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