盛岡タイムス Web News 2011年 12月 15日 (木)

       

■  〈大震災私記〉71 田村剛一 海の見える家

 私の家の前に、最後まで残った家が2軒ある。1軒は木造家屋。2階はそのまま残ったが、1階は柱を残すのみで、今にも倒れそう。

  もう1軒は、コンクリート造りの歯科医院。建物はそのまま残ったが、裏口が大きく口を開け、そこに流れ着いたがれきがからまったり、垂れ下がっていて、まるで幽霊屋敷を思わせる廃屋になっていた。

  どちらも、複数の犠牲者の出た家。木造に住む家族では、若い息子の嫁とその子どもを失っていた。歯科医院では、従業員の女性2人と医師の母親合わせて3人、従業員の一人は新潟に遺骨となって帰っていった知人のかつて義理の娘だった女性。もう一人は、妹の結婚式で山形まで行ってくれた妹の友人である。

  周囲の家が解体され撤去されたにもかかわらず、この2軒だけが残り、手をつける気配がない。2軒ともにOKの印が早くからついているのに。近くで解体作業をしている会社の社員に聞くと「解体のOKが出ていない」と言う。すぐに役場の担当課に出向いた。

  「なぜ、2軒だけ残したのか」。すると「なぜ、急ぐのか」と逆に聞き返された。

  「行ってみれば分かるよ。木造家屋は今にも倒れそう。人にけがを負わせたら大変だ。歯医者の建物は、まるで幽霊屋敷で気持ちが悪い」。

  そう答えると、急に係官は態度を変えた。「木造の方は道路に面しているので、解体のタイミングを計っています。歯科医の建物は、医療器械があるので専門家に見てもらった上で解体することになっています」。それならそれを早く言えばよいのに…。

  実は、役場職員は人を見て態度を変えると言われていた。下手に出るといばる。それが役人根性か。

  近くの女性に「女が行くと、ばかにして駄目です」と言われ、この女性の代役を務めたことがある。行って分かったことだが、用は足されていた。ただ態度が悪かった。ひじを立てたまま女性の話を聞いていたのだ。

  私が言ったためか、木造家屋の方は、すぐに解体された。歯科医の建物は、それからしばらくの後、解体された。

  この2軒の家が解体されると、目の前の風景が全く変わった。それまで、2軒の家に隠れて見えなかったが、2軒の家がなくなったとたんに、壊れた防潮堤が、大きく口を開けているのが見えた。

  その壊れた防潮堤の間から、大島、小島の浮かぶ山田湾が、手に取るように見えた。わが家は完全に、海の見える家になったのだ。その海に、昔のような思いを持つのは、まだ先のようだ。
(山田町)

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