盛岡タイムス Web News 2011年 12月 17日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉241 岡澤敏男 第3のビールへの道程

 ■第3のビールへの道程

  賢治は大正13(1924)年5月19日〜23日まで、同僚白藤慈秀と生徒を統導して北海道方面へ修学旅行をしたことがある。旅行後に学校へ提出した「修学旅行復命書」に旅行中の印象が精細に記載されており、その「札幌麦酒会社」見学記事には賢治らしい未来を予言するような炯眼(けいがん)をのぞかせているのです。

  瓶詰工場では「古き麦酒瓶数十の一列河水の流るゝが如く機上を転じレッテルを剥離磨洗水洗填充賦栓より新なるレッテルを得麦稈の衣を装ひ」2ダースの木函に容められるまでの「その巧妙なる機転驚嘆せざるなし」と、当時のオートメーション(瓶詰ライン)に目を奪われた。

  しかし賢治はそうした自動機械化を一応評価しながら「しかれども」と、一息いれ、「斯くの如き今日の工業中にありては稚態茶飯事に過ぎず」と批判した上で「大約(おおよそ)人類の苟も思想する処何事か成ぜざらん」と人知の無限の可能性を推論しているのです。

  最近サッポロビールの開発チームが生み出した「第3のビール」の現象は、かつて賢治が札幌麦酒会社見学で抱懐した思想の延長上にがつながっているのかも知れません。

  明治以来わが国のビール飲用の歴史は「深いコクと苦み」が嗜好の主流でした。それが87(昭和62)年に登場した「アサヒ・スーパードライ」の「スッキリした辛口」という新ジャンルの味覚へと流れを変えて行ったのです。

  これが市場へ活性化をもたらし、94年に発泡酒「サントリー・ホップス」を誕生させ225円だった350_g缶をジュース並の100円台(180円)まで下げました。95年には第2発泡酒「サッポロ・ドラフテイ」、98年に「キリン・端麗・生」を生み、やがて2003年に第3のビール「サッポロ・ドラフトワン」、05年「キリン・のどごし・生」の誕生を促すことになった。

  このようにビール業界が低価格ビールの開発競争に挑戦したのは、対アメリカの約11倍、対ドイツの約16倍というビールに対する日本の苛酷な税制度に原因があるようです。ちなみに日本の税収の約3%が酒税で、その70%をビール、発泡酒が支えていると言われる。ビールの税率は麦芽使用率で決められ麦芽使用率67%以上のビールは220円(1g当たり)の税率で、新ビールの開発はいかにして麦芽率を低く抑え、しかも「ビールの味」を維持するかという前人未踏の険しい道程でした。

  それは代替えする廉価な副原材料の探索に試行錯誤する悪戦苦闘の道程でもあったのです。

  元来ビールは別表の通り大麦→発芽(麦芽)→麦芽→麦汁(糖化)→ろ過・煮沸→発酵という工程となるが、ビールの旨味(コク)は大麦のたんぱく質(窒素・N源→アミノ酸)に、苦みや芳香はホップによっています。発泡酒1は大麦の澱粉を米やコーンスターチ(トウモロコシでんぷん)に代替し麦芽使用率を25%以上67%未満に減らし税率を152・7円に、またビールのコクを支える蛋白源に大麦を使わずエンドウ豆のたんぱくに代替し発泡酒3では麦芽使用率を25%未満に抑え、税率を83・3円に下げることに成功した。

  このハイテクこそは、約90年前に賢治が札幌麦酒会社を見学した時に抱懐した「人類の苟も思想する処何事か成ぜざらん」という無限の可能性を象徴する現象の一つと見えるのです。

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