盛岡タイムス Web News 2011年 12月 18日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉73 田村剛一 出さずの返信はがき

 自宅に戻ると、多数の郵便物が届いた。その中の何通かには「3月29日より支店留置中」という添書の付されたものがあった。配達人は、私の居所を探したけれども、つかめなかったのだろう。

  その一通を手にして見た。宛て先は「山田町後楽町二|十二 田村剛一先生」とあった。その住所のわきに、赤ペンで、または「近くの避難所気付」と書かれていた。差出人は、新潟の友人、高校時代の同級生である。20年前に、学校卒業以来初めて会った後、彼は、「俺達は室蘭発日本海」そう言って、固く手を握ってくれた。

  私達の高校は室蘭、私は高校時代の3年間を室蘭の伯母の所で過した。中学校を卒業する時、進路をどうするかで迷っていた。その時、伯母の所から「高校だけは出ておけ、勉強したかったら室蘭に来い」という手紙が届いた。私は二つ返事で室蘭に行くことを決めた。新潟の友人は、1年生から3年生まで一緒。

  進路については相談したことは一度もないが、彼は新潟に、そして、私は金沢に進学した。30年ぶりで会い、「俺達は室蘭発日本海」と言われるまで、そのことを意識したことはなかったが、友人は、ずっとそれを思っていたのだろう。その時、彼は新潟大学の農学部教授の職にあった。その友人からの手紙である。すぐに封を切った。

  中に、友人宛ての住所が書かれたハガキが一枚出てきた。そして、手紙。

  「今朝、東京の斉藤さんから電話連絡をもらった。『田村夫婦は生きていた!』と」。ぼくはどうしても君の安否を調べる術がなかった。一度、手紙を出したが届いたかどうか。

  同封のハガキに、君の字で「山田町より」と書いて投函してくれたまえ「生存している証として」
   2011・3・24 小島拝

  郵便物の中を調べたら、もう一通、友人からの手紙があった。それには「この度の地震、心からお見舞い申し上げます。どうしたら、君の安否を調べられるのか? この一通の手紙が、君の手元に届くことを切に祈る。ともかく、ご無事であることを只々祈る。生きている!と連絡ください」

  消印は3月16日、地震直後出したものだ。しかし、二つの手紙に返事を書くことはなかった。私の手元に届いたのは4月に入ってから、その時には、すでに電話で無事を連絡していたからだ。

  この手紙、うれしかった。私のことをこれほどまでに心配してくれる友がいる。私は、この2通の手紙と出さずのはがきを大切にしようと思っている。

(山田町)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします