盛岡タイムス Web News 2011年 12月 19日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉50 照井顕 山内賢の「風の又三郎」

 俳優・山内賢が今年(2011年9月24日)67歳で亡くなった。本名は藤瀬賢晁(のりあき)。彼の兄が俳優の久保明だったからか?子どもの頃は久保賢といった。

  彼がまだ小学生だった1957年、僕らが通っていた平泉小学校の達谷(たっこく)分校へ、10人ほどの子どもたちと共にやって来た。宮澤賢治の名作童話(賢治が亡くなった翌年の1934年、藤原嘉藤治が世に送り出した賢治の全集で発表された)“風の又三郎”を東映で映画化するにあたり、又三郎として東京から来たのでした。

  彼の父役は「少年探偵団」での“怪人二十面相”「月光仮面」での“国際暗殺団首領”だったりした、こわい俳優の加藤嘉(1913〜1988)他、左卜全や、岩手一戸出身で二枚目スターとして活躍した「宇佐美淳」(本名・駒木五郎1910〜1980)らが出演したもの。

  「ドッドド・ドドウド・ドドウド・ドドウ」の音とともに「谷川の岸に小さな学校がありました。教室はたったの一つでした」で始まる二百十日(立春から数えて210日の9月1日)あたりの“風の三郎”語り。

  実際、映画の舞台となった僕らの分校は、茅葺(かやぶき)屋根で暖房は木製の火鉢。昼になるとその上に金網をかけ弁当を温めた。1・2年、3・4年が1クラスの複式学級。全員で50数名の生徒。その中から、20人程選ばれてその他の子どもたちとして出演。

  僕も一度は席に座らせられたが、別の子と入れ替えられて外されました。小さな校庭には線路が敷かれその上をカメラのトロッコが走ってたし、大きな扇風機のトラックから送り出される風に向かって、手押しポンプ車で放水。木々の枝に針金を結んでそれを土手の影に隠れた住民たちが、ゆっさ、ゆっさと引っ張って台風のシーンをつくってた。又三郎は、バケツで水をかけられてから、その暴風雨の中を走り本当に風邪をひいたっけなぁ。

  学校での試写会の日に、出演した生徒たちに配られたのは“風の又三郎”と印字された、まるでガラスのマントを着た“又三郎”のような銀色に光るネジ式「シャープペンシル」だったっけ!銀色で思い出したが、日活女優・和泉雅子と山内賢がデュエットした曲「二人の銀座」をよく聴いたものだった!
(開運橋のジョニー店主)


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします