盛岡タイムス Web News 2011年 12月 25日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉78 田村剛一 

 今回の大津波の被災者の中で、痛ましかったのは身障者の人たちである。私のよく知る人の中で、身障者の人が4人亡くなっている。被災状況が分かるにつれ、その数は増えるのではないか。

  身障者の防災について盲点があった。知人4人は、いずれも家族で生活していた。私たちの自主防災で力を入れたのは、高齢者家族ないし単身高齢者、同じ高齢者でも息子家族と同居している場合には誘導避難の重点者にはしていなかった。身障者についても同じ。そこに盲点があり、多数の犠牲者を出すことになった。

  夫婦で亡くなった友人、知人については、すでに紹介した通りだが、両隣りの地区で家の中で亡くなった身障者が2人いる。

  2人の家は鉄骨の3階建て。“津波警報”の放送を聞いて、家族の人が2階に避難させた。2階にいれば大丈夫、そう判断したのだろう。ところが両方の家とも、防潮堤から50bも離れていなかったから、津波は2階まで襲った。若い人たちはその津波を見て、すぐに3階に移動できたが、90代の女性と50代後半の男性は自力では階段を登れず、そのまま渦にのまれたという。90代の女性はかなり認知症も進んでおり、やむをえない部分もあったが、50代男性は、いままでいろいろな仕事で世話になってきただけに残念である。

  町役場に勤務する傍ら、県のボート協会や山田ボート協会の役員として、ボートのため献身的に努めてきた。山田町のボート競技が活躍できたのも、彼の力によるところが大きいといっても過言でない。

  私も山田高校のボート部を9年間担当したので、彼との付き合いも深かった。それだけではない。子どもの数が少なくなり高校の再編成計画が持ち上がり、県教委は1学年4クラスを目指すと発表。それが実行されると、1学年2クラスの山田高校は存続が危うくなる。山田高校がなくなると、山田町の伝統競技であるボートが危うくなる。そこで、2人で相撲し山田高校を町民で育てようと、「山田高校を支える会」を結成することにした。その結成総会の後、倒れた。なんとかして、回復してほしいと願っていた矢先の大津波。ボートマンも自分の不自由な体では津波には勝てなかったのだ。

  家族同居でも身障者には、優先的に避難させるという町の防災対策がとられていれば、身障者の犠牲者をもっと少なくすることができたろうに。そのことを主張してこなかった自分を省みて彼には申し訳ない思いがしてならない。
(山田町) 

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