盛岡タイムス Web News 2011年 12月 27日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉79 田村剛一 80段の階段

 3月11日に避難した道は、国道45号線に面した旧荒浜木の中央町から寺山に通ずる道。その道を、階段を数えながら歩いてみた。階段はちょうど80段。私の足でゆっくり歩いて1分。

  少々急坂であるが、足の不自由な人を除けば上れない階段ではない。この階段を上った人は助かり、上らなかった人は命を失ったことになる。上らなかった人が6人もいた。

  この階段を上り切ったところが避難場所。避難した人たちは、ここから自分の家が津波に襲われるのを見ていた。私は、津波が防潮堤を越える直前まで、そこで津波を眺めていた。ここは50年前、チリ地震津波を眺めた場所と全く同じ。

  この場所は、私の家から最も近い避難場所。大津波を同じ場所で二度も経験するとは…。「津波男」と言われかねない。何せ、チリ地震津波の時には、大学の研修旅行で秋田まで行った際に、たまたま家に寄って津波に遭った。

  この時、わが家に泊まった友人がいた。「津波らしい」と言って早朝母に起こされた。友人は飛び起きると「津波を見に行こう」と言って海に向かおうとした。それを止め、友人の腕を取って避難したのが、この場所だ。

  金沢の学校に帰ると「俺は貴重な体験をした」と言って、友人は誇らしげに、津波の体験談を人に話して聞かせていた。その友人は翌年の春、白山で遭難して亡くなっている。昨年の秋、友人の妹から「兄の50年忌を行いますので出席してください」という案内をもらって行ってきたばかりであった。

  80段の階段を上り切った所が、海がよく見える高台の避難場所。そこをまっすぐ墓地の中を下れば龍昌寺に出る。龍昌寺に向かわないで、右手に坂道を上ると水天宮に出る。その水天宮も今は主がいない。水天宮の下にある御前堂と言われる大久保家の氏神であるが、5年前に主が亡くなり、以後、荒れ宮になるのを心配して荒浜木地区の人たちが中心になりこの水天宮を守ることにした。父方の祖母が大久保家の出ということもあり、その一人に私も加わった。しかし、今回の津波で水天宮を守ろうといった人たちが全て家を失い他所に行ってしまった。残ったのは私一人。どのようにしたらよいか悩んでいる。

  この水天宮に通ずる80段の階段。この階段が、人の運命を分けた。階段を上った人は助かり、階段を上らなかった人は命を落としたからだ。

  明治の大津波から今回の平成の大津波まで幾度となく津波を眺めてきた水天宮。海の神様は、どんな思いで今回の津波を眺めたのだろうか。階段を上りながらそんなことを思った。
(山田町)


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