盛岡タイムス Web News 2011年 12月 28日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉80 田村剛一 失われた景観1

 周りのものが見えるようになってくると、失われたものの大きさに驚く。人、物、家、…そして風景。

  失われたものは、人に関わるものだけではない。自然や風景も失われている。その中で最も損失の大きかったのは、白砂青松の風景ではないだろうか。三陸海岸の白砂青松の風景は、ほとんど失われたと言っても過言でない。

  大槌の浪板海岸、釜石の根浜海岸、そして陸前高田の高田松原。三陸岩手、いや日本を代表する海の景観を誇っていた風景であったが、白い砂浜も緑の松原も消えた。三陸を代表する風景だけでなく、もっと身近な所にある風景も失われているに違いないと思う。

  私の町の山田でも、海水浴場として子どもたちに親しまれてきた海岸は、地盤沈下と津波による浸食でことごとく砂浜を失った。

  ことにも、残念に思うのは、海の十和田湖と言われる山田湾の大島(オランダ島)の砂浜が消えたことだ。白い砂浜を洗う波の美しさ。そして、その水面に映し出される七変化の色とりどりの海。私の最も好きな風景だった。

  この大島の砂浜で中学2年の時、クラスでキャンプしたことがある。引率に大学を出たばかりの若き美人教師。学校では、いつも先生に反抗し、先生を困らせてばかりいたが、キャンプの時だけは、まったく先生に従順であった。

  今でも同級生が集まると、あの時の話をする。先生を困らせたのは、嫌いだったからではなく好きだったからだ。14の心に帰って若き日のことを語る。

  私も親になって、夏になると毎年子どもたちを大島に連れて行った。二男が4年生の時、大学時代の友人が、娘を連れて大阪からやって来た。それで、友人と娘を大島に案内した。二男と同じ4年生だったので、二男も同行。

  親たちは、砂浜に寝転び、子どもたちの水遊びする姿を眺めている。

  「いやあ、いい景色だ。こんなすばらしい海があるとは知らなかったよ」。友人である。

  その時である。「お父さん来て!」。娘が胸のあたりまで水につかって呼んだ。何ごとが起きたのか、そう思って、友人と一緒に娘の所に駆け寄った。

  「お父さん見て。足の先が見えるよ」。足の先が見える海で、海水浴をしたことはなかったのだろう。

  津波後、大島には行っていない。しかし、いつも見えていた周辺の白い砂浜が見えない。あの砂浜がないと、大島の風景にはならないのだ。心のふるさとが消えるようで寂しい。
(山田町)

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