盛岡タイムス Web News 2011年 12月 30日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉82 田村剛一 失われた風景3

 大槌からさらに釜石に向かった。途中にある鵜住居、そこにある根浜海岸、共に忘れられない所である。

  鵜住居には釜石北高校があった。そこは、私の二つ目の赴任校。そこで長男と二男が生まれた。子供が小さかった頃は、2人を自転車に乗せ、根浜海岸までサイクリングしたことがある。そこで、砂遊びもさせた。

  二男がよちよち歩きながら渚に向かった。そこに波が来て足をさらわれた二男が転んだ。起こしてみると顔は砂だらけ、その顔を見て笑ったら二男は大声で泣き出した。

  当時、根浜海岸では面白いように貝が採れた。胸のあたりまで水につかり、腰をふりながら足で砂を掘って貝を探す。その仕草がツイストを踊っているように見えたことから、そこで採った貝をツイスト貝と呼ぶようになった。今にして思えば、ホッキ貝だったのではないか。釜石北高の職員たちは、その貝を採って来ては学校で煮て食べた。私は、口にしなかった。子供のころから〓夏、貝を食べるとあたる〓と言われて育ったからだ。今は、漁業権が厳しくなり、貝を採ることは禁じられているのかもしれない。

  あの広い砂浜をもつ根浜海岸はどうなったか。浪板海岸を見て心配になり根浜に向かった。砂浜の見えるはずの釜石東中学校を過ぎたあたりに来て〓アッ〓と声をあげた。広大な砂浜が全く見えない。そのかわり、河口が大きく口を開け海とつながっていた。どこまでが川で、どこから海なのか。二男が転んだ砂浜は完全に姿を消していた。

  松林のある方に向かった。そこに学校帰りによく寄り、一杯やった宝来館がある。今でも釜北OB会をそこでやっている。その宝来館も一階部分は完全に壊されていた。酔うほどに、口ずさんだ「根浜小唄チョンガ節」が口をついて出た。

  霧にけむった根浜湾
  授業終えての宝来館で
  ちょいと一杯やりたいな
  ハァー月給まだ出ぬ苦し いと
  手持ち無沙汰でボヤいて る
  チョンガー チョンガー

  釜石北高校も2年前に閉校になった。その時もこの宝来館で、旧職員だけの小さな釜北を偲ぶ会を開いた。その宝来館も今後、どうなることやら、女性は釜北の出身。たくましい女性だから、きっと再建してくれるものと信じている。

  山田の七変化の海、浪板海岸の片寄せ波、そして根浜海岸の広大な砂浜、その変わり果てた風景に言葉を失うほどの津波であった。

(山田町)

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