盛岡タイムス Web News 2012年 2月 1日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉107 田村剛一 テレビが届く

 電気が通じ、間もなくすると、釜石の業者だという人が、立派なテレビを届けてくれた。初任校である一関二高の元山岳部の部員が、金を出し合って贈ってくれたものだ。

  退職以来、毎年旧交登山と称し東北の山に登っている。その幹事役の教え子が、震災直後、支援物資として米と水を届けに来てくれた。その時「何かほしいものがあったら遠慮なく言ってください」と言われた。

  その頃、テレビでよその被害を見たいものだと思っていた時なので即座に「テレビがほしい」と言った。一関に帰るとすぐに元の部員たちに“東日本大震災による被災者田村先生への支援について”と称し、募金を募ったようだ。その募金で買ったテレビである。

  私は、機械関係には全く無知だから、どんなテレビなのか分からない。ただ、津波をかぶったわが家には、不釣り合いなほど立派に見えた。流されたテレビはこれより小さかった。

  「高いのでしょうね」と取り付け最中の電気屋に聞いた。

  「お金はもう頂いておりますから」といって言葉を濁した。その夜、遅くまでテレビを見た。ワイドショーやニュース、報道番組はいずれも震災。しかも、津波よりも原発事故の方が大々的に報じられていた。その映像を見て、3月末まで郡山にいた孫たちは大丈夫だろうかと心配になった。

  父親の転勤で4月早々に岐阜の各務原に転校して行ったが、それまでに放射能を浴びていなければよいがと思ったからだ…。

  5月に入って、幹事役の教え子が、テレビの様子を見ながら、募金協力者の名簿と募金報告書を置いていった。

  協力者は16人。50年前に一緒に山に登った山の仲間たちだ。山に登れば、教師も生徒もない。同じテントに寝て、同じ釜の飯を食う。ここから山の仲間の連帯が生まれる。

  16人の中には卒業後、一度も会ったことのない教え子が3人、すでに米と水を届けてくれた教え子も3人含まれていた。

  テレビは37インチ、16万6千円。安いところに頼んだと言っていたので正規にはもっと高いのだろう。私があえて数字を書いているのは、教え子たちの気持ちを生涯忘れたくないと思ったからだ。

  「こんな立派なテレビが見られるなんて信じられない」。妻も、94歳になる母も、そう言って喜んでくれた。

  山に登り、アルコールが入ると「俺たちは先生から何も教えてもらわなかったからよかったんだ」そう言って憎まれ口をたたく。でも、どこかに切っても切れない何かがあることだけは確かなようだ。
(山田町)

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