盛岡タイムス Web News 2012年 2月 5日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉110 田村剛一 友人の証言6

 私の町でも800人近い人たちが犠牲になった。犠牲になった理由はただ一つ。「逃げ遅れ」の一言に尽きる。しかし、逃げ遅れの理由はさまざまだ。

  体が不自由で逃げられなかった人、仕事途中で逃げ遅れた人、大事な物を持ち出そうとして逃げ遅れた人、人を助けようとして巻き添えを食った人、家に戻った人、高見の見物をしていた人、車の渋滞に巻き込まれた人、津波は来ないと高をくくって逃げなかった人…。残念ながら、その人たちに口を開いてもらうことはできない。わずかな手段は、犠牲になった人の近くにいて助かった人から聞くしかない。

  犠牲になった人とは逆に、九死に一生を得た人も少なくない。「友人の証言」はそうした人たちから聞いたもの。それを話す人もいれば話さない人もいる。妹の夫の体験も「運に救われた」例と言えるかもしれない。

  この日義弟は通院のため陸中山田発2時25分の列車で宮古に向かった。列車は定刻に津軽石に着き、乗客が降り始めた。乗客が降り終わると列車は発車する。発車と思った瞬間に列車は大きく揺れ、今にも倒れそうになった。地震である。

  地震がやんだので発車するのかなと思っていたら「津波警報が出ましたので避難してください」と言われ、車掌に案内されるまま近くの学校に避難した。

  それから30分ほどして津波が襲った。あっという間に津波は国道から侵入して集落をのみ込んだ。列車は横倒しに。

  乗客は避難して無事。列車で待機していたら大変なことになっていただろう。乗客は翌日、駅員の運転する車で、山道を通って山田まで送り届けてもらった。

  この話を聞き、手元に残った列車時刻表を調べてみた。津軽石駅が何と「2時46分」とあった。JR山田線は曲がりくねった線路が多く、走行中に大地震に遭えば脱線すること間違いない。発車時刻2時46分。この「時刻表」が乗客の命を救ったともいえる。それはまた、運転士の腕に救われたと言ってもよい。列車が遅れていれば走行中、地震に遭う可能性があったからだ。乗客を避難させたのが車掌だとしたら「命を救った車掌(運転士)」と言ってよい。このことが、どの紙面でも紹介されていないところをみると、記者たちはこのことに気付いていないのだろう。それとも、私の見逃しか。

  今回の津波で宮古の閉伊川に架かるJRの鉄橋は半分落ちている。大槌川の鉄橋は跡形もない。高浜付近の線路はぐにゃぐにゃに曲がっていた。こんな中、列車やバスの大惨事がなかったことは不幸中の幸いと言ってよいのかもしれない。
(山田町)

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