盛岡タイムス Web News 2012年 2月 8日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉112 田村剛一 役立たずの防災センター

 がれき撤去が進むなか、最後まで撤去されなかった建物が北浜地区にあった。それが、役立たずの防災センターである。

  早く撤去すればいいのにと、何度思ったかしれない。それが、最後まで残ったのは、町に鉄筋コンクリートを解体する業者がいなかったからだと聞く。

  町には二つの防災センターがあった。一つは北浜地区に、もう一つは長崎地区に。いずれも今回の津波で被災。ことにも、北浜防災センターは、屋根まで水をかぶって全壊。長崎地区の飯岡防災センターは床上浸水した。飯岡防災センターまで津波が来ると予想した人は誰もいない。そこは許されるとしても、北浜防災センターは、津波が来れば、一番先に被害を受けるだろうことは、誰もが予想できた。そこになぜ防災センターを建てたのか。

  一度「なぜ、あんな危険な所に防災センターを建てたのか」と役場の幹部に質問したことがある。答えは「津波だけが災害ではない。町では適地として建てた」だった。

  「沿岸では、津波を想定しない防災はありえない」と詰め寄ったが、最後は「住民が望んだので建てた」と責任逃れ。

  普段の防災訓練の時には、避難所に指定していなかったから、そこに避難して犠牲になった人は山田にはいない。

  今回の津波で被災した防災センターは山田以外にもあるようだ。隣町の大槌がそうだとも聞く。大槌では、高齢者が近くの防災センターに避難して多数犠牲になったとも聞く。

  町の防災訓練の時、町では住民をその防災センターに避難させていたという。そこに、訓練時避難していた住民は、当然、そこが町で指定する避難所であると認識してもおかしくない。地震後、そこに近くの住民はすぐ避難した。そこを津波が襲った。避難した住民は悲しいかな津波にのまれた。町では“そこは正規の避難場所ではなかった”と弁明しているようだが、その弁明は理解されないであろう。

  同じようなことが、釜石市の鵜住居地区でも起きたと聞いている。避難訓練の時、そこに避難させられていたので安全だと思い避難したようだ。ここで犠牲になった人たちは「なんで…」と思いながら波にのまれたのではなかろうか。防災センターが生んだ悲劇といってよい。

  なぜ危険地域に防災センターが建てられたのか。防災センターには補助金がついた。その補助金のためにつくられた防災センターと言われる。そんな役立たずの防災センターのため犠牲になった人たち、哀れでならない。もし事実とすれば行政の責任が問われそうな気もする。
(山田町)


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