盛岡タイムス Web News 2012年 2月 11日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉115 田村剛一 放射能から海を守る運動

 私が会長をつとめる「豊かな三陸の海を守る会」は、青森県六ケ所村に建設された核燃再処理工場から放射能が海に流されるということを知った年(平成17年)の11月に結成された。

  私たちの会の運動の目標はただ一つ「海に放射能を流さないでほしい」という願いで結成された。

  なぜ、有毒な放射能が海に流されるのか。それを調べてみたら、どの法律にも、放射能の放出を禁止する条項はなかった。それどころか、鉛やヒ素などの有毒物質の放出は禁止していながら、「放射性物質は除く」とあるのだ。これでは、いくら放射能を海に流しても罰せられることはない。

  再処理工場が操業したら、放射能が大量に放出され、三陸の海が大変なことになる。そう思い、海に放射能を流させない法律をつくるための運動をすることになった。その一つとして、県内の市町村議会に、海に放射能を流させないための「放射能海洋放出規制法(仮称)」の制定を求める請願を行った。その結果、県内市町村33のうち31の市町村で請願を採択し、意見書を国に提出してくれた。ところが、盛岡市と釜石市だけは、どうしたことか、その請願を採択してくれない。この二つの市については、これからも継続して請願活動を行っていくことにしている。

  同時に、沿岸住民に放射能が海に流されることへの危険性を啓蒙(けいもう)するために行ったのが、「三陸の海を放射能から守ろう」という立て看板の設置である。ところが、この設置がなかなか思うようにいかなかった。風評被害を恐れ、沿岸住民が、立てる土地を貸してくれなかったからだ。

  頼みに頼んで立てた看板が4枚。その一つが、山田町の大沢漁協の土地で国道45号の海近く。漁協の了承のもとで立てたのだが、東北電力からクレームがついた。電柱の近くは駄目というのである。看板を立ててから、すでに1カ年以上も経てのこと。

  そこに、3・11大津波。海のすぐ近くに立っていたので、看板は流され、影も形もなくなってしまった。

  4月の初め、息子の車で宮古に向かう途中、六角堂の付近の松の木の上に白いものがひっかかっているのを見つけた。宮古からの帰り、その近くに車を止め松の木を見上げると、それが、なんと、流れたはずの看板。「三陸の海を放射能から守ろう」という文字が見えた。これぞ、三陸の海を守れという天の啓示。

  さっそく事務局長に連絡して、2人で松の木に登り、立て看板を降ろした。そして、後日、どの車からも見えるように、旧商店街近くの国道脇に立てた。流されずに残った立て看板。この看板に負けない海を守る運動にしたいものだ。
(山田町)



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