盛岡タイムス Web News 2012年 2月 23日 (木)

       

■ 〈大震災私記〉122 田村剛一 遺品を探す人たち

 位牌(いはい)を取りに戻り、波にのまれて亡くなった人がいる。80代の女性である。

  家は役場のすぐ前、避難場所から20bほどしか離れていない。地震後、息子たちと役場前の避難場所に避難した。ほとんどの人は着の身着のままで避難した。この人もそうだった。

  津波が到着する前に30分以上あった。その間に“大事なものを忘れた”と言って、それを取りに家に戻った人たちがいる。この女性もその一人。「位牌を取りに行く」と言って戻った。それがその人を見た最後。避難場所に戻ってくることはなかった。

  同じように、家族を避難させながら、物を取りに戻った近くの50代男性も、家族の元に帰ることはなかった。今回の津波で避難した後、家に戻って帰ったという人は、いまだ知らない。

  大事なものを家に残し、流されたり、焼かれたりした家がほとんど。その大事なものは人によって違ったようだ。

  私の家の近くにも、アルバムや写真が流れてきた。その中に、今回の津波で亡くなった人のアルバム、写真が含まれていた。写真を見れば、持ち主はすぐ分かる。

  立派な家族アルバムだったので、家族にすぐ知らせた。ところが、返ってきた言葉は「要りません」だった。これには困った。要らないと言われても捨てるわけにはいかない。そこで元あった場所にそっと戻した。

  一方は、亡くなった同級生の写真。といっても家族の写真。同級生の妻に渡すと「よかった」といって喜んでくれた。家族の写真を喜んでくれる人もいれば喜ばない人もいる。世の中、複雑だなと思った。

  がれきが撤去されると、ぽつりぽつり屋敷跡に、人の姿が立つようになった。知人の一人に声をかけてみると「何か落ちていないかと思って…」という。そこは焼けた家の跡だったので、何もないだろうと思いながらも、つい探したくなるのだろう。

  私のいとこの所もそう。津波に遭った後、火災に遭った。おばは結局見つからなかった。残された家族が焼け跡をくまなく探したが、おばに関わるものは何一つ見つからなかった。

  私の家でも流されたものがある。位牌である。それで、近くを探したが見つからなかった。

  そのうち“位牌が人材センターに集められている”という話を聞いたので行ってみた。たくさんの位牌が並べられてあったが、私の家のものはなかった。

  驚いたのは年代物の立派な位牌。なぜ、引き取りに来ないのか。あるいは引き取る人もいなくなったのかもしれないと思った。
(山田町)


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