盛岡タイムス Web News 2012年 2月 25日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉123 田村剛一 遺品を探す人たち

 焼け跡から焼けただれたトタン屋根を取り除くと、下にはほとんど何もなかった。完全なる焼け野原。その中に、ぽつりぽつりと鉄筋・鉄骨の建物だけが取り残された。

  その焼け野原を見て「東京大空襲の時よりもひどい」と言った人がいる。私より若い人だから、東京で空襲に遭った人ではない。映画か写真を見ていて、それと比べそう言ったのではないか。

  津波、焼け跡地を一人歩くのは勇気のいることだ。気持ちが悪いということもあるが、何かを探していると見られかねないからだ。

  家を流されたり、家を焼かれたりした場所は、何もないとはいえ歴とした個人の所有地。むやみに立ち入りはできないはず。ましてや流されたとはいえ、家屋や建物、それに私的所有物もしかり、他人の物を勝手に拾うわけにはいかないのだ。

  私の所に、流された息子の車を見つけて「廃車にしてあげますから、無料で処分させてくれ」と言う人が現れた。

  「持ち出す時には連絡してください」と言って許可を与えたが、知らぬ間に持ち出されてしまった。車の中にクレジットカードが入っていたので、すぐに警察と銀行に連絡、車は見つからなかったが、実害を未然に防ぐことができ、ほっとした…。

  そんなこともあり、知らない土地をぶらぶらすると変な目で見られかねない。でも、知人たちの消息も知りたい。そんな思いで、焼け野原となった地区まで足を延ばしたことがある。

  焼け野原の中で、ぽつんと一軒だけ無傷で残っていた家があった。訪ねてみると知人宅だった。「風向きが変わって助かった」と言う。こういう知人はもう一人いた。

  その近くは焼け跡地で何かを探している数人の家族に出会った。「何を探しているんですか」と思い
切って聞いてみた。「父にまつわるものが何か残っていないかと思って…」。この家族の主が犠牲になったようだ。

  同じような人に別な所でも会った。「どっかにお父さんの骨でも残っていないかと思って…」。不明者の骨を探す人たちがいたのだ。

  町では、必死になって遺体捜索を進めたが、まだ不明者の実態がつかめていなかった。犠牲者は当初、1千人を超すだろうと言われていたが、今は800人ぐらいとなった。遺体発見が500人とすれば、行方不明者は300人となる。その300人の人たちは、今いずこに…。

  焼け跡で見つかるとすれば、それは骨しかない。「骨だけでもいいんです。見つかってくれれば…」。それが肉親を失った家族の共通の思い。そんな言葉を聞くたびに胸がつまる。

  知人の奥さんにも「骨でもいいので、毎日探し歩いています」と言われた時、返す言葉がなくて困った。「早くみつかればいいですね」と言うしかなかった。

(山田町)


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