盛岡タイムス Web News 2012年 2月 26日 (日)

       

■ 〈大震災私記〉124 田村剛一 花見の季節もなく

 庭の梅の木もついに、花を咲かすことなくつぼみのまま枯れた。寺の境内の桜も、いつものような美しい花はつけなかった。幹が津波で塩水に侵されたからであろう。

  唯一、花らしい花が咲いたのは、公民館前、町民広場の土手の桜だけだった。

  いつもの年なら、桜の花を眺めながら弁当を広げて昼食をとる人の姿もあったのに、今年は、そんな人は一人もいなかった。

  花の咲く頃になると、近くの年金暮らしの男連中が集まって来ては、花を眺めながら談笑している姿をよく見かけた。その輪に加わったことも何度かある。しかし、今年は、その人たちの姿もなかった。

  実は、この場所も桜の木も、私にとっては最も思い出深い場所だ。今、中央コミュニティーセンターの建っているところに、小学校があり、公民館の建っているところが、中学校。そして、町民広場が校庭であった。小学校、入学当時は国民学校と言われたが、それから新しい中学校の校舎に移転する中学2年生までここで学校生活を送った。その後、役場、公民館などが建つようになって、昔の風景は一変した。その中で、小学校の時から変わらず残っているのが、ここの桜の木。それだけにここの桜は懐かしいのだ。

  忘れられないことが多くある。私たちの育った小・中学時代は食料難時代。食べられるものは何でも口に入れた。その中の一つが、校庭の桜の実。この実、“食べてはならない”と先生に注意されていた。

  それを聞く中学生ではない。休み時間になると、すぐ教室を飛び出し、桜の木の下へ。そこで熟した桜の実を拾い、口に詰め込む。

  鐘が鳴りすぐに教室に戻るのだが遅い。先に教室に入っている先生がいたからだ。
「桜んぼを食べたな」
「食べません。便所に…」
「その口はなんだ、黒くなっているぞ」
  バレてゴツン。桜にはそんな思い出がある。

  50年前と同じように今年も桜が咲いた。しかし、遠くから眺める人はいても、近くで花見をする人はいなかった。

  大津波で、そんな気分になれなかったこともあるが、この町民広場には、支援物資をもらう人たちで長蛇の列ができていた。

  そうした人たちのいる中、“きれいな花だこと”そんな悠長な気分で、花見のできるような雰囲気ではなかった。

  支援物資をもらいに来た人たちの中で、どれほどの人が、満開の桜に気づいたろうか。
  花の散った今、桜の話をしても“今年桜は咲いたろうか”という人が多いような気がしてならない。
(山田町)

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