盛岡タイムス Web News 2012年 2月 28日 (火)

       

■ 〈大震災私記〉126 田村剛一 名取からの電話

 震災から2カ月ほど経って、突然「田村さんですか。ナトリの…」という電話があった。「ナトリ?」一瞬、なんだろう。誰だろう、と思った。

  「宮城県の名取の者です」と名乗られたが初めて聞く名前。返事に困った。

  「津波被害はいかがですか」というので、「家は大規模半壊、事務所は全壊です」と答えた。すると「私の家も同じくらいの被害でした」という。それにしても、この人、何者?と思っていると「家の後片付けをしていたら、新聞のスクラップ帳が出てきて、田村さんの名前を見つけました」それからが、長電話。

  「田村さんが、新聞に書いているように、早く避難していれば、こんなに犠牲者が出なくて済んだのにと思って…」。

  実は、私は、仙台の新聞に、よく防災教育についての小文を投稿していた。この人は、私の投稿文を切り抜き、スクラップ帳に収めていたようだ。それが、津波の難を逃れ、それで、私の名前を見つけ電話をくれたようだ。

  私は大学時代にチリ地震津波、教員になってからも、釜石で十勝沖地震を経験している。

  この十勝沖地震の時、生徒たちを家に帰すべきかどうかで職員会議が開かれた。列車が不通になり、列車通学の生徒たちが帰れなくなったからだ。このときは、道路は通行止めになっていたので、列車の運行がないことを確認して、線路伝いに、生徒たちを帰したように記憶している。

  この十勝沖地震を契機に、私は学校での防災のあり方、防災教育の必要性を肌で感じ新聞に投稿するようになった。岩手、宮城両県の新聞に投稿したが、掲載率は宮城県の新聞の方が高かった。宮城県沖の地震が想定されていたからだろうか。

  もともと私は地理学専攻ということもあって、津波には関心を持ち、それをライフワークにしようと考え、論文に手を出したことがある。その一つが、盛岡で開催された全国地理教育研究大会の時に発表した「津波と集落移動」である。おそらく「津波と集落移動」というテーマの論文は、私が初めてではないか。

  これは、山田町の船越地区と田の浜地区の集落移動を取り上げたもの。陸繋島の砂州に発達した旧船越村は、明治、昭和の大津波で壊滅的被害を受け、それで集落を高台に移動させた。移動した集落部分は、今回の津波で難を逃れたものの、田の浜地区の一部は火災で家を失った…。

  実は、今、書いている「大震災私記」は、名取からの電話を聞いて、これが、私の最後の務めのように思え、書く気になったものである。

  (山田町)


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