盛岡タイムス Web News 2013年  7月  4日 (木)

       

■  〈風の筆〉8 沢村澄子 「関係なくはない」


  20年以上も前に家庭教師させていただいていたお宅のお母さんに、バッタリ会った。

  「キャー。お久しぶり〜」「どうしてました?」「パフェ食べに行きません?」と、そのまま喫茶店へなだれ込む。

  「Aちゃん、今年36なんですよ。結婚しなくて。先生、どうしよう」「いいじゃないですか」「いや〜。心配で」

  妹Yちゃんの方は既にママとなり、その2人の子ども、つまりは孫さんの動画を、抹茶パフェを口に運びつ観賞会。

  姉のAちゃんはおっとり型だった。今もマイペースで自分と付き合い、自分を守って生きているのだと思う。お母さんは心配そうだが、仮に多少世間との反りが合いづらいとしても、自分を持っている人間は強い、とわたしはAちゃんの幸せを信じている。

  しかしその一方で、実は、お母さんには理想的な娘、のYちゃんが気にかかる。

  「参考書買いそろえたからって、成績上がると思わないでね!」と言われて「うん。お母さんが『すてきな奥さん』(主婦と生活社)読んだって必ずしもすてきな奥さんになるとは限らないのと同じよね!」と言い返していた彼女は、非常に成績優秀だったにもかかわらず、受験に失敗。落ちるはずのない、余裕もありありでお釣りが貯金できそうな試験に、なぜか落ちた。

  私学に進んでしばらくして会ったとき、「器(学校)は関係ないんだということが分かった」とYちゃんは言った。

  それが分かれば後が楽。落ちたかいはあった、と役立たずの家庭教師は思ったが、なぜか同時に覚えた不安。その後、大学に行き、会社に勤め、妻となり、母となり、まさに母は強しで、彼女はどんどん立派になって、いつしか会うたび、にこにこ笑顔を絶やさないようになった。こちらには何かつらそうにうつっているときでも、彼女は愚痴の一つも言わずにほほ笑んでいる。

  そして、それが苦しさを自分に認めさせまいとして頑張っている笑い顔に見える日、そこに克服しようという意志が感じられる時、わたしの不安がまた少し大きくなる。

  「克服しよう」という意志を持たざる得ない状況、が、どうしても心配なのだろう。

  器は関係ない、という考えは、とどのつまり、全ては自分の責任、という思想である。何が起こっても自分でケリをつける。誰かや何かのせいにしないという思考。絶えず逃げ続け、いつも誰かか何かのせい、の人にあふれたこの世で、実に殊勝な生き方だが、自分ばかりの成長やガマンでケリのつくものでもない。

  特に、家庭や職場などの人の入れ替わりが乏しいところで問題を抱えると、相手を変えるより自分を変える方がたやすいから、つい自分だけでその状況を何とかしようとしてしまうけれど、それは根本的な解決にならないどころか、問題のさらなる繰り返しや助長にさえなるのだと、最近ようよう気付いたのである。

  自分と器(自分以外=他者)は関係ないものではない。全ては関係の中でのことだ。

  だから、Yちゃん、いつも笑ってなくていいのだぞ。苦しい、止めてくれ、と叫んでもいいのだぞ、と、わたしは言いたい。
(盛岡市、書家)


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