盛岡タイムス Web News 2013年  7月  8日 (月)

       

■  〈幸遊記〉131 照井顕 中村寛昭の江戸ぺん屋


  昨2012年の9月「このジャズボーカリストを応援しているので聴いてみてください」と開運橋のジョニーへ飯田久美子さんのCDを持参してくれた中村寛昭さん(67)は、その場で彼女に電話して僕と彼女をつないでもくれた。その時、一緒に「お土産です!」と手渡されたものは、彼が考案した「江戸ぺん」というボールペンだった。

  スケルトンのボールペン芯に、さまざまな柄の千代紙を巻いたオシャレなペンで、見せると誰もが「ワー、きれい!」と言う。ジャズ講座に通ってくる皆さんに配り、そのペンでそれぞれ名前を寄せ書きにし、それを中村さんに送ったら、再度、再三、再四にわたって「使ってください」と、送ってくれたり、持参してくれたりで、随分お客さまにプレゼントした。

  中村さんは昭和21年(1946)豊島区長崎の彫刻家・中村留雄氏の長男として生まれた。実の兄弟は5人だが、父が39歳で亡くなる時、友人だった神田の日本美術工芸社の柳沢保基(やすもと)さんに、自分の妻子の面倒を頼んだという。頼まれた柳沢さんには2人の奥さんが居て、それぞれに7人、5人の子がいたから、しまいには17人兄弟になったのだと笑う。

  その柳沢さんは戦後の疎開先・平泉に「日本美術工芸社」を移し、神道を広めるためには、神社も布教活動をしなければならないと、お札や破魔矢、祭壇、神棚作りをやり、実用新案の神葬祭用のお墓の考案から、新しいものでは太陽系第3惑星國土大神の「地球神社」トラベルラッキーカード(世界旅行願意成就)なるもの等々。2006年に98歳で亡くなるまでに100種を超える発案。昭和30〜40年代は霊友会が作った日本一大きな弥勒菩薩像(10b)や釈迦像(13b)などを一本の木で彫らせた立役者、それを手伝った寛昭さん。

  工芸社を継いだのは寛昭さんの末弟・基文さん(53)。寛昭さんは、機械が好きで、練馬工業高校へと進み、現在は精密機械を使っての非平面の凸凹や球面体へのパッド印刷を手掛ける会社「キンテツスクリーン工業」の経営者。以前はクラシック、現在はジャズ。5月に飯田さんと彼は、僕たちと一緒にブルーノート東京で穐吉敏子ジャズオーケストラを聴いた。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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