盛岡タイムス Web News 2013年  7月  10日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉341 伊藤幸子 「天才ピアニスト」


  煽られし楽譜を拾ふ時の間にドビュッシーもわれは逃してしまふ 
                                   大西民子

 夏を迎え、八幡平温泉郷の別荘地が活気づいてきた。きょうは草ぼうぼうのわが家の庭に千葉ナンバーのベンツが停まり、「伊藤さん、玉ネギだよ」と半年ぶりのお声。ここから温泉郷まであとひと息、千葉県長生郡の白子玉ネギ10`ネット詰めを下さって休憩もせず立ち去られた。音楽家、藤田晴子記念館の白井眞一郎館長さんである。

  これから行って別荘兼記念館を開けて掃除をしなくてはと言われて私に小冊子を下さった。館長さんの地元の「房総通信」と藤田晴子さんの資料だ。これが深くて史実の重さに驚嘆、私の全く知らなかった日本国憲法の、戦争直後の占領本部内でのやりとりが書かれていて読みながら動悸(どうき)してしまう。

  まず「世界」誌1993年の記事。1947年に発布された日本国憲法は、戦後連合軍総司令部の草案をもとに制定されたものである。

  しかし、人間の平等を保障する14条と婚姻における男女の平等を規定する24条が、総司令部に勤務していたベアテ・シロタさんという22歳の女性文官によって起草されたというのだ。

  私はあらためて昭和31年刊の藤田晴子著「楽の音によせて」を読み返した。大正7年、法律学者の長女として東京に生まれた晴子さん。12年から昭和3年までドイツに滞在。帰国後はレオ・シロタ氏(ベアテさんの父)に師事。昭和12年第6回音楽コンクールピアノ部門第1位。昭和24年東京大学一期生法学部卒業。華々しく演奏活動を行いながら国会図書館勤務も続けられた。

  5歳上の晴子さんとベアテさんの会話がおもしろい。ベアテさんが日本国憲法の条文を書いた一人だと告げると、「じゃ、ベアテさんが男女平等の憲法を書いて下さったおかげで私が東大に入れたことになりますね。戦前は東大は女性を入れなかったんですよ」と笑われた。若くたぎる向学心が伝わってくる。

  その藤田晴子さんに後事を託された白井館長さん。現在のお住まいである千葉県一宮町のお隣にこの「房総通信」発行者の宇野靖治さんがおられ、以前岩手で牧師さんをされていたというのである。私が現実にお目にかかっているのは白井館長さん(83)だけ。でも、藤田晴子さんの居室、ドイツ製のピアノ、おびただしい著書の書棚等の遺品のあいまから、天才ピアニストの雰囲気や気配が伝わってくる。記念館の開いている夏の期間、せっせと通って音楽を愛する方々のお話を伺いたいと思っている。
(八幡平市、歌人)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします