盛岡タイムス Web News 2013年  7月  13日 (土)

       

■  〈賢治の置土産〉323 岡澤敏男 (花巻町平民、宮沢賢治!)


 ■(花巻町平民、宮沢賢治!)

  初めに誤字の訂正です。短篇『疑獄元凶』とあるのはすべて『疑獄元兇』と訂正してください。

  「疑獄」とは昭和4年5月に告発された「五私鉄疑獄事件」のことで、「元兇」とは田中義一内閣の現職鉄道大臣小川平吉を指すが、作品では「高田小助」と変名させている。この疑獄事件は告発から7カ月後の昭和11年9月19日の大審院判決において有罪が決審するまで、判決が二転三転するという長期裁判で注目された昭和初期の大疑獄事件の一つといわれている。

  賢治がこの作品を書いたのは昭和8年5月18日のことであるらしい。その二日前の16日に東京地裁の第一審法廷が1394回の公判を経て小川被告らに無罪の判決を申し渡しており、その模様を報じた18日付『時事新聞』(宮沢家の愛読紙)の記事を提示して父政次郎が「大衆が読んで、すぐわかるようなもの書いたらどうだ」と賢治に告げたという。「それを聞くと、賢治は、すっと立って二階の自室にゆき、半紙と万年筆を持っておりてきた。彼は常居に座ると同時に、物もいわずに、書き出した」と、森荘已池氏が『「疑獄元兇」寸見』(『新修宮沢賢治全集』第14巻月報13)で述べているのです。

  賢治が1394回の裁判記録を知る筈はない。だが『疑獄元兇』作品は16日に行われた東京地裁第一審の判決記事を素材として「すらすらと一気に書かれた」(森荘已池)というから、この疑獄事件の元兇である小川平吉に関心をもっていたのでしょう。この作品の「現存草稿」は和半紙6葉に書かれているが、その4葉目は「書簡書きかけ反故の余白」を用いている。その書簡とは7月16日に投函された菊池武雄宛の葉書のことで、「書きかけ反故」は右半にあり、それを抹消した左半分に「何だか〜消し得ない」の約4行の文章が書かれ、3葉目の途中8行目の「覗き穴だ」と11行目の「こんな眼を」の間に挿入されている。4葉目は5月18日ではなくその後(7月頃ともいわれる)に書かれ追加挿入されたもので、賢治が5月18日に「すらすらと一気に書かかれた」作品は和半紙5葉だったとみられる。そして第5葉目は「梁の武帝王達磨に問ふ〜嗟夫!」だけの6行で、しかも他葉のような推敲の手入れもなく、第5葉目に賢治の発想の原点が凝集されているのではないでしょうか。前回も取り上げたがこの作品は被告「小川平吉」の心理的な屈曲に自身の心情を重ねたもので、父に対する積年の思いを死ぬ前に告白することにテーマを想定したものと思われる。

  構成的にみれば第2葉に仕掛けがセットされている。検事の儀容に動揺した被告が自然を取り戻すために徳玄寺や清源寺(清養院)の裏山の栗林を想起し、動揺心に「にい!」と引導を渡す場面です。小川被告との接点がまったくないこれら二寺院を現出させた事に、父はどのように反応するのか。政次郎は二寺院と賢治の関係を熟知しており、第2葉は賢治から父に「被告とは自分のことだよ」というコール・サインであることと察知したし、作品の最後に署名した(東京府平民、高田小助!)を明らかに(花巻町平民、宮沢賢治!)と読み取ったのです。そして「ふだんのままの顔つきで」政次郎は5葉の作品を無言で賢治に返したという。それは清六氏による証言ではあるが、賢治は父の表情のなかに阿弥陀如来に対する静かな祈りにも似た姿が焼き付いていたのではあるまいか。

  ■賢治の御通夜の晩の政次郎評について
      (森荘已池・佐藤泰正による)

 森荘已池氏によると、賢治が『疑獄元兇』を書いて、四カ月たって亡くなり、その御通夜の晩のこと。…お父さんが、常居の電燈をさして、はなしはじめた。

「賢治は、あの電燈のタマに、強い電流を、一ペンに流したようなもので、ござんすべ。パッと強く白色光をはなして、目もくらむほど明るくなって、あとは、しんと暗くなってしまったようなもので、ござんせんか。」

「わたしは、あれが天才のような男だと、早くから知っておりました。そしてあれが、天馬のように、地上から飛び去ってしまわないように、私は太い棒杭と、丈夫な縄になって、あれをつないでおこうと思ったのでござんす。」と、父による賢治評を紹介している。

  また佐藤泰正氏は『宮沢賢治論』V(『疑獄元兇』をどう読むか)のなかで、御通夜の晩の政次郎の賢治評をふまえ、「この父の言葉は賢治の生涯を語るとともにまた『疑獄元兇』への対者の返した返歌ともみえる」と指摘し、「またおのずからにこの最期の散文作品そのものの様態を語っていなかったか。この作品をつらぬくある過激な情念の流れに、父はある言いがたく深い何ものをか感じとっていたはず」で「父の沈黙はまさにその無言の返歌」と述べています。


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