盛岡タイムス Web News 2013年  7月  15日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉132 照井顕 富樫雅彦のスピリチュアル

 一切の妥協を拒絶し、独自の音楽世界を追求し続けた車いすのパーカッショニスト・故富樫雅彦さん(1940〜2007)。彼が、スイングジャーナル誌のディスク大賞で「金賞」「日本ジャズ賞」「最優秀録音賞」の3部門を独占受賞したアルバム「スピリチュアル・ネイチャー」が話題になったのは、僕が陸前高田にて「音楽喫茶・ジョニー」を開いた1975年のこと。そのLPは、聴くたびに精神の高揚(昂揚)と清々しさを感じさせてくれる、崇高な作品。

  「1940(昭和15)年東京に生まれ、6歳からバイオリンを習った。SP盤で、JATPやショーティ・ロジャースを聞いてジャズを演(や)りたくなり、小学6年でジャズメンになる!と決めた。奥田宗宏さんに弟子入りし、中学2年からビックバンドやダンスバンドで働き、15歳の時には、松岡直也のバンドで月給を貰ったのがプロの始まり。だから学歴は中学までだよね」。そう僕に話してくれた彼。世界的な天才ドラマーとして、日本ジャズの歴史的重要シーンの数々に登場し、共演者をも魅了させた彼・富樫雅彦が、突然の車いす生活を余儀なくされたのは、1970年1月。それ以降「生まれた時からこんな体の者が打楽器を使うなら!」を考え、首と手を一緒に持っていくことで体を動かす方法や、打楽器の取り付けを工夫し、世界最高のパーカッショニストに生まれ変わったのだ。

  「どんな時でも演奏は、ただ一生懸命!裸のままの自分を見てもらい、一瞬一瞬に最善を尽くしてゆく!それしかない。昨夜は感動的なコンサートだった」。そう彼が言ったのは、1988年4月16日。僕が主催し、数百人が聴いた、富樫雅彦カルテットの陸前高田市民会館での演奏会。

  そういえば、あの富樫さんの演奏姿を撮った写真家・朝倉俊博さんの写真を、版画家の加地保夫さんがシルクスクリーンで刷り、富樫さん、朝倉さん、加地さん、そして僕の4人がサインした30部の作品。その残部があったはず!と最近思い出し、陸前高田の加地さんに電話をすると、何と津波は彼のアトリエの庭先で止まり、作品は無事!と、彼は残部を即贈ってくれたので、関係者に配り僕も額装し店に飾った。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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