盛岡タイムス Web News 2013年  7月  20日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉324 岡澤敏男 政次郎と賢治

 ■政次郎と賢治

  父政次郎が、わが子賢治をどんなふうにみていたのか。政次郎から側聞した希少な言質からそれをたどってみます。側聞とはいえ実話であるのは間違いない。

  花巻農学校で同僚だった白藤慈秀氏の側聞がある。白藤氏は岩手師範学校本科卒、京都平安仏教専修学院卒後教職に就いた。賢治が花巻農学校を大正15年3月に退職し、白藤は12月に退職している。その後は盛岡市の浄土真宗本願寺派願教寺の院代となって寺院生活をするなど、真宗篤信家である政次郎とは同信で親しかった。白藤著『こぼればなし宮沢賢治』によれば、昭和2年8月、羅須地人協会を訪ねて一泊した翌日、豊沢町の宮沢家に立ち寄ったとき父政次郎から次の賢治評を耳にしたという。政次郎は賢治の独善的、猪突的な行動に対し不満を漏らし「賢治の考えは仏教でいう声聞、縁覚の二乗的な考えである」と厳しく批判したという。賢治の一徹の考えは賢治としては最善の考えだと思っているに相違ないが、政次郎からみれば大乗的(衆生の教化)ではなく小乗的(自己の解脱を求める)な行為としかみえなかったのです。

  また小倉豊文氏は旧制姫路高校教授(その後、広島大学文学部教授)だったが、昭和17年の秋に「雨ニモマケズ手帳」写本のために花巻の宮沢家に訪れて以来40年近く広島から花巻行が続けられ『雨ニモマケズ手帳 研究』(『「雨ニモマケズ手帳」新考』)を上梓した。宮沢家、特に政次郎から「センセイ」とよばれたという。小倉氏は政次郎のことを「翁」と呼ぶ場合がある。「ある時、翁はしみじみとした口調で、賢治が早熟な子であり、仏教を知らなかったら遊蕩児になってしまったろうという意味の述懐をしたことがあった」(「二つのブラック・ボックス」―賢治と父の宗教信仰)という。小倉氏は賢治が「なまじ仏教をしらなかったら、日本はすばらしいボードレールの様な大詩人をもったと思いますよ」と放言すると、翁は語をついで「なにしろ私が色欲旺盛な頃に生ませた子ですから、因果な子ですよ」と真顔でしんみりつぶやいたので、ヒヤリとさせられたことを忘れられないという。

  かつて賢治が6歳のとき赤痢にかかったときにも、中学を卒業し鼻の手術で岩手病院に入院したときにも付き添い看護した父に伝染させ胃腸を狂わせてしまった。賢治はこのことで生涯ふかく父に対する引け目を感じていたが、小倉氏は「二度の入院の時の付き添い看護も、賢治より政次郎の方がはやく、賢治の出生そのものを賢治に対する父のひけめと感じていたのではなかったか」と推量し、賢治の早熟について「我が身の罪悪・妄念の結晶」と考える政次郎翁の信仰の所在に目を向けている。その後のさまざまな「父子の相剋・葛藤は心の最深層におけるおたがいのひけめからであろう」との指摘に、何か氷解する思いがするのです。

  昭和8年9月21日に亡くなった賢治の通夜の席上で「あれは、若いときから、手のつけられないような自由奔放で、早熟なところがあり、いつ、どんな風に、天空に飛び去ってしまうか、はかりしることができないようなものでした。私は、この天馬を、地上につなぎとめておくために、生まれてきたようなもので、地面に打ちこんだ棒と、綱との役目をしなければならないと思い、ひたすらそれを実行してきた」との政次郎の話は、小倉氏への述懐と相通じるものがある。

  ■小田邦雄「宮沢賢治の両親について」抜粋
   草野心平編「宮沢賢治研究」1より
 
  嘗て、清六氏は、「父はあらゆる面で兄の幾倍も上です。」と言うやうな意味のことを言はれたことがあるが、故賢治の不羈奔放の生涯のかげには、この翁の眼にみえない影響を見落とすことはできない。(中略) 宮沢家は花巻地方における所謂素封家であるのみではなく、当時のごとき封建社会の遺制の強い環境の中で、賢治的な奔放な行動をゆるせることは、息子の才能とこの正しい志向とをよくよく理解した上でなければならぬ。人並はづれて我侭なこの天才児を手放しにする勇気となほも温く抱擁するものがなくてはならない。(中略)嘗て翁は「賢治は三円でも、三十万円でも、あればあるほど、みんな人のために使ったに違ひない。」と言ってゐるが、父の立場からはかうした無軌道、且つ異端的な息子に対しては種々な複雑なおもひもあったにちがひない。賞揚もしなければ、難論をしてゐるのでもない。その素質をよく識って、そのまゝ志を生かすことよりその方法がなかったのかも知れない。息子の一途な願ひは親さへこれを制し得るものではなかったにしろ、父親の政次郎翁の深い理解なしに賢治は在り得なかったのである。この意味でこの天才児は希有な幸福者であったと言える。



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