盛岡タイムス Web News 2013年  7月  24日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉343 伊藤幸子 「今は昔」


 まれまれに古典のこころしずくせり夜を徹したる四照花(やまぼうし)の前
                                        坪野哲久
                              「角川現代短歌集成」より

 「今は昔」と語り始める「今昔物語」の世界に遊んでいる。「橋と幽霊」いつの世も霊を語るにふさわしい橋の夕暮れ。紀遠助(きのとおすけ)という下級武士が京の務めを終えて美濃へと帰る途次、琵琶湖のふちの瀬田の唐橋にさしかかった。

  「橋の上に、女の裾取りたるが立てりければ、遠助、怪しと見て過ぐるほどに」、たったひとりで褄(つま)をとって外出着姿でたたずむ女。読む者をたちまち不気味な世界にひき入れる。

  瀬田の唐橋、私は新聞紙大の日本大地図を広げて、京都粟田口から大津をめざす。現在は唐橋と並んで東海道線や新幹線、国道1号や名神高速道の交通網が混む。昔も今も日本有数の交通の要衝だ。そもそも壬申の乱では、この瀬田の橋は大海人皇子(おおあまのみこ)軍と大友皇子軍との奪い合いの対象だった。歴史の舞台をいろどった保元、平治の乱や治承、寿永、元弘、応仁の乱など合戦のたびに戦略上の拠点となった場所。

  今しも瀬田の橋に来かかった遠助をよびとめる女に「あやし」とは思えど馬から下りた。美濃まで行くと言うと女は言づてを頼みたいという。女は絹に包んだ小筥(こばこ)を出して「方県(かたがた)の郡(こおり)の里の橋まで持っていってほしい。そこに女人がいるので渡して下さい」と頼む。そして「決してはこを開けぬよう」と念を押す。ワァー、やめればいいのに、供の者たちにはこの女人の姿は見えず、馬から下りてぽつねんと立つ遠助をふしぎそうに眺めていた。

  方県郡は岐阜県本巣(もとす)郡とされ、遠助の里、生津(なまつ)の地から遠くない。遠助はやっとわがやに戻った。うれしくて忙しくて、はこを届けるのを忘れていたが、納戸にしまっておいたままなのを遠助の妻があやしむ。さては他の女にやるみやげかと「嫉妬の心いみじく深かりける女」、遠助の留守にはこをあけて見た。

  ワァー、見なければいいのに、上等の絹に包まれたはこの中身は、何と抉(えぐ)り出された人間の目玉があまた。それと、えもいわれぬモノを「多く切り入れたり」という場面。

  「なぜ開けたのだ。見るなと言われていたのに」となじる夫。早く返さなくてはと、遠助は頼まれた橋に行ってみた。待っていた女は「見たな」とばかり鋭くにらみ、遠助は逃げ帰ったもののそのまま死んでしまった。

  現代人と変わらぬ愛憎の奥底を描きだし、「人の妻の嫉妬の心深くそらうたがひせむは、夫の為にかくよからぬ事のあるなり」と結ぶ物語。恐ろしくておかしくて、なんだか元気の出る説話である。
    (八幡平市、歌人)



本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします