盛岡タイムス Web News 2013年  7月  29日 (月)

       

■  〈幸遊記〉134「ジョージ川口のビッグフォー」照井顕


  日本最大のドラマーとしてその名を欲しいままに人生を送った「ジョージ川口」さん(1927〜2003)。ジョージ川口といえば「ビッグフォー」。1952年、「ゲイ・セプテット」を退団した彼と、ベースの小野満。それに「渡辺晋とシックスジョーズ」にいたテナーサックスの松本英彦と、ピアノの中村八大が合流してできたコンサート専門のバンド。名付けたのは、リーダー兼ドラマーのジョージ川口(当時25歳)。バンドは結成時から売れに売れ、爆発的、熱狂的に連日連夜、日に10回もステージに立ち、女性ファンに追いかけられ、芸者衆からお座敷が掛かるほどの超人気。以来幾多のメンバーチェンジを繰り返しながら、不屈の精神で最高水準のバンドを最後まで保ち続けた彼・ジョージ川口。

  彼の父は日本ジャズの草分けサックス奏者・川口養之助(1896〜1952)。「海外へ出てプレーしたのも、アメリカの船や、上海で演奏したのも第一号じゃないかな」と、彼が僕に語ってくれた時の誇らしげな笑顔が今も浮かぶ。

  本名・川口譲治。京都生まれ。6歳からの14年間を父がいた大連で過ごし、ピアノやバイオリンを習い学校ではラッパとサックスと小太鼓など一通りの楽器を演奏したという。しかし戦争中は欧米音楽が禁止されたので飛行学校へ行って短波放送から流れるジャズを「カッコイイナー、すげえなー」と聴いたのだと。

  戦後大連でドラムをたたき始め、日本に引き揚げ、ジャズ界にデビュー。一般的には、豪放でエキサイティングなドラマーとしての定評。本当はデリケートで叙情的なプレーも好んだようだが、ファンの期待に応える演奏をし続けた。彼の息子・雷二もジャズドラマー。

  「何でも、その道の超一流になればよい。それは自分の努力。答えは簡単!努力の仕方だよ。本当の芸術家って世界にほとんどいない。みんな商売人になっているからね。僕に関して言えばプロに徹しているってことだね。みんなにも厳しい。いい加減なプレーは許さない。どんな場所でも、例え客がいなくても、目いっぱい行け!と、そうじゃなかったら、プロとして失格だからね」そう語ってくれたのは、僕が、ミュージシャンを目差す若者へのアドバイスをお願いした時のこと。平成元年。第一回全国太鼓フェスティバルで和太鼓奏者の小口大八さん(1924〜2008)と競演する日のことだった。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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