盛岡タイムス Web News 2013年  7月  31日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉344 伊藤幸子 キーンさんの著作集


 夕されば潮風越してみちのくの野田の玉川千鳥鳴くなり    
                                 能因法師

 ドナルド・キーン著作集第一巻「日本の文学」を読んでいる。先ごろの講演会でカタカナの署名入りの本書を買ってきた。565ページの大冊、その中に「いつか岩手県の盛岡で行われた『おくのほそ道』の会で、私はこれを少なくとも60回読んだと言いましたら、みんな驚いていました」とさわやかな会話風で読みやすい。氏は教師として30回は学生たちと読み、予習と合わせると60回といわれ、芭蕉は永遠に私の心を豊かにしてくれると説かれる。芭蕉は能因法師のこの歌を知っていて、野田の玉川を知りたかったであろうと、「古人の跡を求めず、古人の求めたる所を求めよ」の文言を「彼が何を求めてそこへ行ったか」を念頭において旅をしてきたと解釈される。

  私は昨年3月に日本国籍を得られたときのキーンさんの大きい写真全面記事の新聞を大切に取ってある。「自分を日本の文化に同化させたい」との思いはニューヨークのコロンビア大学で日本語を学び始めた17歳の頃からという。

  アーサー・ウェイリーの翻訳で初めて「源氏物語」を手にされた氏は、源氏の何にひきつけられたのか。氏の述懐は熱くなめらか。「紫式部は美に関して非常に敏感だった。彼女の一番の特徴は、人間の心理をよく知っていること。だから何度でも読める。彼女は永遠の美を創造したのだ」と、作者の心情を説き明かす。

  彼女の描く光源氏は、「音楽家が一つの曲だけにとらわれず、いろいろな曲に挑戦するように、彼の一番の芸術は恋愛だった」という。一般に日本の宮廷貴族たちは詩歌管弦をはじめ高い芸術性に富み有職故実(ゆうそくこじつ)を重んじていた。キーンさんの、ヨーロッパの恋愛との比較がおもしろい。モーツァルトのドン・ジョヴァンニは女性と関係を結ぶのは一回きりで、召使いにその名を記帳させてあとは終わりとあり、笑える。

  大学在学中に太平洋戦争勃発、戦後日本文学を学び53年京都大学に留学。55年からおととしまでコロンビア大で教壇に立ち、日本とニューヨークを往復しておられた。日本名、鬼怒鳴門(キーンドナルド)、この名刺は「人を笑わせたいときに使う」とのこと。ご専門は近世文学で博士論文は「近松門左衛門」の由。

  「大学生になるまで、日本といえばペリー提督が開いた国というくらいの知識しかなかった私が、今は自分の魂を日本のために使っている。それは大変な変化です」と書かれるキーンさん。91歳、さらなるご加餐(かさん)を祈りたい。
    (八幡平市、歌人)


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