盛岡タイムス Web News 2013年  9月  4日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉349 伊藤幸子 選者の色紙


 「上手(うま)いねと言はれるうちはまだだめだ」柊二先生或る日宣(の)らしき
                                               武田弘之

 8月25、26日、東京京王プラザホテルにて「コスモス短歌会60周年記念大会」が開催された。私は入会45年目だが京王プラザは3回目ぐらい、昔は500人ぐらいの参加で、2泊3日のスケジュールだった。今やすっかり高齢化して参加者も往時の半数に減っている。

  30周年のサヨナラパーティーのときは、このホテルの30階で「乾杯」のとたんゆらゆらと地震に遭い怖かった。お元気だった宮柊二先生はじめ、なつかしい方々のお顔が浮かぶ。

  昭和7年生まれの武田氏は、ことし3月まで当短歌会の編集長をつとめられ、去年は白秋没後70年、また宮柊二生誕100年等の記念事業をすすめられた。その氏の「コスモスの60年」と題した講話が実におもしろかった。

  氏は「学研」の社員で、昭和29年11月はじめて宮先生に会われたときのことから話された。当時「高校コース」進学雑誌に短歌欄を作ろうという企画があり、宮先生に選者をお願いすることになった由。「12月、宮先生の、新日鉄の高井戸の社宅に行きました」と話されると、私など写真でしか知らない竹群のわきの宮邸を思いわくわくする。

  しかし、先生はその要請を断られたという。先生は28年に「コスモス」を創刊されたばかりで大忙し、朝日歌壇の選もされていた。そして青年武田氏は「コスモス」をもらって帰り、しだいに短歌創作へと気持ちが傾かれる。

  この辺りのお話になると、宮英子夫人もニコニコして聴き入られる。本年96歳、最前席で半世紀にわたる元編集長とのやりとりに拍手で応えられる。かくして30年4月号より「高校コース」に宮柊二選の歌壇が誕生したことだった。

  側近ならではのおもしろいお話もいっぱい拝聴した。43年からコスモス編集部に入られた氏は、宮先生にいちばん叱られたという。会員のKさんが先生の真似がうまく、「川辺はいないか、武田をよべ!」と、髪をかき上げながら大声を出されると、会場は笑いに包まれた。重鎮川辺古一さんは平成18年80歳で亡くなられた。

  会員にとって選者の色紙が頂けるとうれしいが、この掲出歌について武田氏の述懐がある。先生宅で著名な歌人の色紙を拝見の折、それはまるで小学生の字のように幼く見えた。でも先生は「それがいいのだ」と言われ、氏はその口吻(こうふん)を詠まれた。では見るからに「下手だね」と思う私など何としよう。もう一度京王プラザに戻って勉強し直したい思いにかられている。
    (八幡平市、歌人)


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