盛岡タイムス Web News 2013年  9月  11日 (水)

       

■  賢治筆入れの地図公開 都南民俗資料館 土性調査時に使用 澤井さんが所有


     
   賢治が書き込んだ鉱物の名前と絵の具の試し塗り  
   賢治が書き込んだ鉱物の名前と絵の具の試し塗り
 

 盛岡市湯沢の都南歴史民俗資料館は14日から、宮沢賢治が1918(大正7)年に直筆を入れた花巻市の地図(複製)を展示する。盛岡市神明町の郷土史研究家の澤井敬一さん(88)所蔵の地図で、5月に東京の国立科学博物館が賢治の直筆と鑑定した。1999年に盛岡市内の賢治ゆかりの家の解体に際して入手し、14年間眠っていた。地図の欄外の走り書きは、賢治による可能性があると見ていたところ、国立科学博物館が澤井さんのもとを訪れ、実物を鑑定してお墨付きを与えた。賢治の没後80周年にちなみ、初公開される。

  地図は現在の国土地理院の前身にあたる大日本帝国陸地測量部が製作した1916(大正5)年の5万分の1の花巻の図版。地図の上に賢治が薄い緑や赤で着色し、左の欄外に絵の具の試し塗りと、アルファベットの走り書きがある。地図の着色部分に7カ所の傍線を引き、英語で鉱物の名前が記されてあった。国立科学博物館は人づてに澤井さんの地図の存在を知り、担当者が複写して鑑定した結果、賢治の直筆と判断した。

  賢治は大正7年に盛岡高等農林学校を卒業したあと、研究科に2年間残った。同年には稗貫郡から盛岡高等農林学校に対して土性調査の依頼があり、恩師の関豊太郎を指導主任に、賢治は助手を務めた。賢治は花巻を担当し、地図の汚れに学究の苦労がしのばれる。

     
  賢治筆入れの地図を手にする澤井さん  
  賢治筆入れの地図を手にする澤井さん
 


  澤井さんは「入手したとき、ほかの物の中には賢治のはがきや写真が入っていたと聞いた。この地図もあるいは賢治の書いたものではないかと思い、しかるべきところに見せたが、あまり相手にされなかった。分からないのでそのままにしておいたら、話が伝わった国立科学博物館が訪ねてきて、見せると複写して鑑定するという。その結果、筆跡には震えや躊躇(ちゅうちょ)などは見られず、賢治の字に間違いないことが分かった。14年間しまっていた物に黒白が付いて良かったし、今年は賢治の没後80年でさまざまな企画があるというので、見てもらいたい」と話した。

  このほか澤井さんが集めた鈴木彦次郎、新渡戸仙岳の書と合わせて「澤井敬一コレクション」として12月1日まで展示する。賢治の地図は文化財的な価値があるため、複製して展示する。市都南歴史民俗資料館の玉川英喜館長は「目にすることのない賢治の資料を初公開するとともに、貴重な先人の資料を多く展示したい」と話している。問い合わせは同館(電話019―638―7228)まで。


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