盛岡タイムス Web News 2013年  9月  19日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉72 菊池孝育 太平洋戦争開戦


 この稿から、岩手出身者にとどまらず、日本人移住者全体を視野に入れて物語を進めたい。というのは開戦を境にして、ごく一部の人を除いて、岩手県出身者の消息はこつぜんと消えてしまうからである。

  従って物語は、アメリカ、カナダ両政府の強権発動によって、強制移動と収容という日系人に降りかかった受難と屈辱が中心となる。歴史上もまれな悲劇が、実際にアメリカ大陸で起こったのである。

  1941(昭和16)年12月7日(日本時間8日)、日本軍による真珠湾攻撃によって、太平洋戦争は勃発した。当時の日本のラジオ放送は、12月8日朝、次のように伝えている。

  「臨時ニュースヲ申シアゲマス。 臨時ニュースヲ申シアゲマス。大本営陸海軍部一二月八日午前六時発表。帝国陸海軍ハ八日未明、西太平洋ニオイテ、アメリカ、イギリス軍ト戦闘状態ニ入レリ」

  アメリカ、カナダ西海岸と日本とは16時間の時差がある。8日未明の戦争勃発は、西海岸では7日(日曜日)朝ということになる。英語を解する日本人および日系カナダ人(以降日系人とする)は、現地のラジオ放送を聞いて驚いた。その日午前9時半頃、定例の音楽番組が突然中断され、[Japanese Attack on Pearl Harbor(日本による真珠湾攻撃)]という緊急番組を挿入して繰り返し報じた。

  多くの日系人は、今後自分たちの身の上にどんな悪影響を及ぼすか、一様に憂慮したのである。杞憂(きゆう)は現実となった。

  翌12月8日、カナダ西海岸の日系人所有のすべての漁船がカナダ海軍によって拿捕(だほ)、接収され、ニューウエストミンスターに係留された。後に漁船は、州政府が組織した漁船処理委員会によって、所有者の同意なしに売却処分された。この間の事情を二世の林林太郎は次のように記している。

  「日系漁者は戦前すでにその生活権である漁業ライセンスおよびそれに付随するほとんど過半数の権益を失っていた。そして太平洋戦争の勃発と時を同じうして、即ち1941年12月8日を以てカナダ太平洋沿岸における全日系漁者の所有する漁船はカナダ海軍によって押収され、日系漁者の『漁業』そのものに『終止符』が打たれた。(黒潮の涯に)」

  カナダ海軍の動きは迅速であった。真珠湾攻撃の直後、日本軍はカナダ沿岸にも攻め込むとの懸念から、最高レベルの警戒態勢を敷き、日本軍に呼応して蜂起しかねない、日系漁船の拿捕に踏み切ったのである。この時、1200隻もの漁船が押収された。そして8日付で日本語新聞は発禁となり、日本人学校は閉鎖された。日系人全てがこの日をもって市民としての一切の権利を剥奪されたのである。もちろん、日系社会そのものが、カナダ軍、RCMP(カナダ連邦警察)、BC州警察の監視下に置かれることになった。日米、日加間の緊張が高まるにつれて、カナダ当局はこの日の来るのをある程度予想していたものと考えられる。

  というのは、開戦直前のカナダ政府の取った日系人に対する一連の措置を見れば明らかである。

  1941年1月8日、カナダ政府は日系カナダ人を軍役から締め出すことを決めた。

  同年3月4日、日系人の登録を義務付けた。

  同年8月12日、日系人は親指の指紋と写真の付いた登録証の携行を義務付けられた。

  以上の事実から、カナダ政府は日本からの仕掛け(真珠湾奇襲)を待って、日系漁船拿捕を直ちに決行した印象を受ける。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします