盛岡タイムス Web News 2013年  9月  25日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉190 三浦勲夫 居眠り


 8月26日から5日間、県立中央病院に入院し、慢性副鼻腔炎と鼻茸(はなたけ)の手術を受けて、退院した。専門用語では「上顎洞篩骨洞(じょうがくどうしこつどう)根治手術」という。全身麻酔と内視鏡のおかげで知らない間に手術は終わった。外来、入院、手術患者として中央病院耳鼻咽喉科の先生はじめ、かかりつけ医院の先生には非常なお世話になり感謝している。

  退院してきょうで23日になる。日常の活動も前と同様に戻った。入浴や運動で汗を流してもいい。血行を良くしてもいいということである。以前と変わった点の一つは、せき払いの回数がきわめて減った。家人に言われて気付かされた。また、手術前は時々、柱にもたれて脚を伸ばして座り、背中に枕のクッションをしてしばらくの間、寝たりした。鼻汁が鼻の奥にたまらないようにするためだった。今は楽にあおむけで寝られる。

  座位で寝ることは珍妙な格好だったが、ある晩、一つ気が付いた。飛行機では座って寝た。短い眠りは何度も覚めたが、「座る」は古語では「居る」となる。用例は「居ても立ってもいられない」「居待ちの月」「立ち居振る舞い」「居ずまい」「居ざる」「居反り」などだ。座って寝ることは「居眠り」だろうか。ためしに辞書を引くとなるほどそうである。座ったままのコックリコックリが「居眠り」だ。ということで入院前は、夜は1時間ほど「居眠り」してから上半身を高くして「伏し寝」をしたものだった。

  中央病院の病室でもベッドに身を横たえることは少なかった。ベッドから床に脚をたらして、小型のラジオ・レコーダーに気に入った放送を録音していた。NHKの「ラジオ深夜便」と「ラジオ朝一番」で、午後9時の消灯後もそれを行い、疲れたり眠くなったりすれば「伏し寝」をした。新沼謙治が歌う「深夜便の歌」(『今来たよ』)を知った。「昭和は遠くなりにけり」の大人の目で昔を夢見る歌である。昭和時代は元年(1926年)12月25日から64年(1989年)1月7日までと長かった。歌の中で昭和の子どもたちが隣近所で遊んでいる。

  自分が生まれた昭和16年3月は太平洋戦争開戦の9カ月前である。小学校の子ども時代も遠く去った。病院6階の暗い廊下を端まで歩いてドアのガラス越しに深夜や未明の盛岡の街を見た。マンション、ビル、ホテルの窓や外廊下の灯火、鉄塔の照明が明るく光っていた。しかし昔の低くくすんだ、あるいは狭い「昭和」の通りや屋並みや路地裏はもう存在しない。わずか5日間の入院だったが、病院を基点として高齢者の目と記憶から、かなたに消えた時代像を想像して組み立てた。

  朝食後は入院患者に対する朝の「医療処置」が行われた。日中もラジオ放送をイヤホンで聞き、日記をメモした。面会の家族や親戚と話した。退院して9月後半になると「仲秋の名月」となった。9月19日が旧暦8月15日で十五夜だった。旧暦17日は「立ち待ち月」、同18日は「居待ち月」、同19日は「寝待ちの月」となった。月の出が徐々に遅くなる。手術前は座って寝る「居眠り」だったが、手術後は座って待つ「居待ち月」となった。十五夜も「きれいな月よ」という家人の言葉に誘われて、椅子から立って外に出た。銀色の月は中空に高かった。ほっと安堵(あんど)の気持ちで眺め入った。
(岩手大学名誉教授)


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