盛岡タイムス Web News 2013年  9月  28日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〉334 岡澤敏男 政次郎の篤学

 ■政次郎の篤学

  政次郎は若い頃より博文館の「帝国文庫」や「帝国百科全書」の諸本を愛読し、京都の宗教新聞『中外日報』を購読するなど、宗教へ関心を深めていたことを小倉豊文氏が洋々社の『宮沢賢治』第2号で触れている。暁烏敏は熱心な信者には短冊・扇面に歌を書き、また数珠などを贈ったりしているが、布教の折に『親鸞全書』『信仰座談』『仏教講話』『宗教哲学』『修養諸感』の書を盛岡の信者に贈ったことが明治39年の「暁烏日記」にみられる。政次郎にも宗教書(「地獄太夫や沢庵様の御法語」)や暁烏敏執筆の『精神界』『氾濫』が贈られ、社会主義者片山潜らの機関紙『社会新聞』さえ送られていることが「暁烏敏宛宮沢政次郎書簡集」にみられる。

  もともと向学心の強かった政次郎は「御迷惑ナガラ金参円也同封ニテ願上候間近刊ノ書ニテ小生ニ読メソーナルモノ御見込ミニテ選択御送リ被下度」(明治40年10月29日同書簡)と暁烏敏に頼みました。これに対して10月31日の「午後、本郷にて宮沢政次郎依頼の書を求む。『回光録』『沈思録』『エピクテタスの教訓』『親鸞上人』『英雄崇拝論』『百喩経』、之に弐文三十部加えて送る」と日記にみられます。政次郎の蔵書は瞬く間に増加し、店舗住宅の裏にある北小屋が書庫となったらしい。賢治の妹シゲさんが「北小屋というのは、本や雑誌が入っていて、兄さんのもお父さんのも、たくさんありました」(森荘已池著『宮沢賢治の肖像』)と話している。

  仏書の入手には浄法寺の法友寒石・高橋勘太郎の恩恵もあったのです。明治36年の「東北飢饉慰問行」で暁烏敏が初めて会った寒石を「彼の寒村に光っておる、この宝玉を得たことは何たる幸か」と言わしめ、また多田鼎(浩々洞の三羽烏の一人で真宗大学教授)が明治40年の第九回夏期講習会の講師として花巻に来たとき、参集した寒石を知って「真宗の宗義につき、全仏教の教理に渉り、転じて一般の哲学から文芸にも及び、カント、ヘーゲル、スペンサー、エマースンの名さえ、氏の口から聴いた時は、ただ驚異の思いにたへなかった」と評したほどの人物でした。寒石は知識人ぶらず小間物を背負って県北地方を行商し、悩みごとのある客の相談に気軽に応じる商人で、浄法寺の歌人小田島孤舟が「諳んぜぬ仏典とてはなかりけり前垂れ掛ける商人なりしが」と詠んでいる。政次郎は寒石を「妙好人」と敬い大切に親交していた。「暇アルトキハ寒石兄ヨリ借受候白隠全集ヲ読居候」と暁烏敏に便りしているように、宮沢家の書庫にない仏書などは寒石から借用することがあったらしい。また寒石は注目される新仏書を入手すれば目を通してから政次郎に贈呈していたらしい。大正3年8月28日に島地大等の赤い装丁の『漢和対照妙法蓮華経』が明治書院から出版されたことを知り、寒石は新著を購入し次のような書き入れをして政次郎に贈ったのです。

  いにしへの鷲の御山の法の華
  賎が庭にもいま咲きにけり
    大正三中秋十二日
  陸奥山中 寒石山猿 拝呈
   金蓮大兄 御もとへ

  この書き入れの日付は、たぶん9月12日という意味と思われる。何日かして通読した政次郎はこの「赤い経典」を北小屋の書籍棚に存置しておいたのです。

 


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