盛岡タイムス Web News 2013年  9月  30日 (月)

       

■  〈幸遊記〉143 照井顕 村田浩のBOP・BAND


 日本で唯一人とも言えるレギュラーの5人編成による、ハード・バップバンドを率い続けること38年の大ベテラン、ジャズトランペッター・村田浩さん(70)が、昨年に続き、今年(2013)もまた、開運橋のジョニーに出演し、心が静かに沸き立つ熱演を繰り広げてくれた。

  彼がその「BOP・BAND」を結成したのは1975年。そう、僕がジョニーを陸前高田に開店した年であることから、彼の存在はもちろん、レコードもよく聴いていたのだが不思議にも、なぜか最近まで縁がなかった。

  出会ったのは2006年8月6日のBE・BEPPU・JAZZ・INN。かつて僕は、デューク・エリントンの「C・JAM・BLUES」という曲をもじって「SEA・JAM・BLUE」とし、店のキャッチフレーズにしていたことがあったけれど、大分県別府市のジャズファンたちは、ジャズスタイルの「BE・BOP」を「BE・BEEPU」とシャレて、ジャズ祭をやっていたのだった。

  ジャズは時代とともに、社会背景を取り込みながら、常に変化し生き続けているのだが、トランペッターのディジー・ガレスピー(1917年10月21日〜1993年1月6日)らに始まった、モダンジャズの原点ともいえるビーバップスタイルを変えることなく、極め尽くすかのごとく追求してきた信念の人・村田浩。彼は1943(昭和18)年6月20日、横浜に生まれたが、父はその2カ月後に亡くなってしまい、母は駄菓子屋を開いて、彼を大学(日大商学部)まで通わせたのだ。小学5、6年の頃、映画でラッパを吹く真っ黒い人(ルイ・アームストロング)に憧れ、高校、大学と吹奏楽でトランペットを吹き、サラリーマンを1年経験後の1967年プロデビュー。

  1992年発売のアルバム「THE・BLUES・WALK」は世界的なヒットを見せたが、彼は決しておごることなく「喜んでもらえるかという意識。夢を売るのではなく、夢を買ってもらうような、スムーズな演奏ができてうれしかったと思えること」。「僕のバンドは僕よりもいいメンバーに恵まれて幸せ」なのだとも。「ジャズはたいがいカバー曲の演奏だが、中身は演奏者それぞれによって、全然違うオリジナルみたいなものだから自分の曲を書く気持ちにはならなかった。だから、作曲はたった4曲だけ」と恥ずかしそうに笑うのだった。
(カフェジャズ開運橋ジョニー店主)


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