盛岡タイムス Web News 2013年  10月  2日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉353 伊藤幸子 最後の将軍


 この世をばしばしの夢と聞きたれどおもへば長き月日なりけり
                                     徳川慶喜

 安政2年(1855)10月2日夜10時すぎ、江戸の大地は突如跳ね上がるように揺れた。震源地は亀戸から市川の間で、典型的な直下型地震、マグニチュード7くらいといわれる。地震とともに火災も発生、死傷者は20万人ともいうが正確には不明。倒壊家屋は約10万戸、江戸の民家のほぼ3分の1が焼失した。

  この大惨事をもろに受け、自然と人事の荒海を生き抜く人々の大河小説、林真理子さんの「正妻」(上下巻)を読んだ。8月、発売を待ちかねて買い、江戸時代後期の公家と武家社会の相克や、入りくんだ人脈の複雑さに感じ入った。本書と年表を頼りに、自分なりの人物相関図を作成、時間をかけて読み解いてみた。

  林真理子さんの文脈は読みやすいのだが、あまりに歴史の根幹部が茫漠(ぼうばく)すぎて、はぐれそうになる。そんなときは、ゆるゆるとした京ことばに救われる。初めて異人を見たときは、「なんと、おいぼいぼさん(粗末)」と驚き、京から江戸へお輿(こし)入れした姫さまを「おさびさびさせぬよう」(寂しがらせぬよう)とか、体が「お弱さん」「この間まで、おするするさんであらしゃった(ご壮健)」など、「おつむがお弱さん」な私など思わず笑った。

  徳川15代将軍、徳川慶喜。天保8年、水戸藩主徳川斉昭の七男として江戸屋敷に生まれる。文久2年、将軍家茂を補佐して幕政を担う。慶応2年、家茂没後将軍位を継ぐが翌年、大政奉還、徳川幕府の幕引きをした。

  日本史の教科書の人物に背景が添えられ、世界の中の日本の立場が羅針盤を求めて揺れ動く。黒船来襲、尊皇攘夷の嵐、天変地異。

  安政2年12月3日婚儀、その15日後の吉日、2人そろって家定将軍に祝儀の報告に参上する。「私、一橋徳川慶喜従三位左近衛中将は、このたび大納言一条忠香娘、一条美賀と無事結婚の儀、とどこおりなく終りました。これもすべて上さまの御恩恵と御礼申し上げます」と言上。このとき花婿19歳、花嫁は21歳だった。慶喜は常々「わしは将軍にはならん」と言い、また「わしは女に大層好かれるのだ」と正妻の前で言った。あまたの側室愛妾はあっても正室はただ一人。美賀子に実子は育たなかった。

  それから幾星霜。明治の代となり妻が乳がんの手術を受けるとき「わしにはそなたがいなくては困るのだ」と嘆く慶喜。掲出歌は大正2年、慶喜の辞世、享年77。振り返ればまだ大正の代に最後の将軍の姿を見て、深い感動に包まれた。
    (八幡平市、歌人)


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