盛岡タイムス Web News 2013年  10月  3日 (水)

       

■  〈風の筆〉20 沢村澄子 「松岡さん」


 わたしが通っていた小学校は1学年が5クラス。1クラスが40人くらいだったと記憶する。6年間で3回クラス替えがあった。

  ずっと同じクラスだったのは松岡さん1人である。彼女は重い心臓病を患っていて、皮膚は土気色。唇は紫。本当に痩せていた。

  1年生が終わる頃、わたしは担任の先生に呼び出され、「この先何回クラス替えがあっても、あなたと松岡さんを同じクラスにします。松岡さんの世話をするように」と言い渡された。

  それから毎朝、下足室で松岡さんを待って、彼女のランドセルを背負って教室まで行く。2人で一緒にお手玉やあや取りをして遊ぶ。みんなが校庭にドッジボールをしに行っているロングの休み時間には、いつも2人で教室にいた。

  5、6年前に散歩を始めてから、歩いていて時々、松岡さんのことが思い浮かぶのだ。と言っても、苗字で呼んでいたせいか、名前を思い出すことができない。「タカコ」さんだったような気がするのだが、定かではない。

  家が遠かったので、中学は別々だった。わたしは新しい生活、特にテニスに夢中になり、松岡さんのことをすっかり忘れた。そして、夏休みが終わる頃、わたしは彼女のお葬式に呼ばれた。卒業式で別れてから、半年もたっていなかった。

  遠い記憶なので当てにならないが、ずっと彼女と一緒で、他の子のように遊べなかった自分の小学校生活を、わたしはあまり苦にしていなかったような気がする。しかし、松岡さんが通院のために月に一度休む日、グラウンドで友達と思いっきり走り回ったりしている時に、何かうれしさのような開放感を覚えていたような気もする。

  そして、6年間でたった一度だけ松岡さんが参加した遠足で、彼女の手を引いて緑地公園まで歩きながらわたしは、自分たちが3組の仲間からどんどん遅れ、すぐに4組の列にも追い越されてしまい、ついに5組も行き過ぎたあと、どんどん小さくなってゆくその列の一番後ろの子の背中を目で懸命に追いながら、心細くて、泣きそうになった。わたしは必死に松岡さんの手を引っ張った。

  その時の、「いやいや」をしたような松岡さんの手の感触を、わたしは今でも覚えている。

  いくら引っ張られても動けないということが、誰にだってある。病気のほかにだって、理由はいくらでも、誰もが、実は、そうなのだ。

  それなのにわたしたちは、たえず平気な顔をして歩き続けているだろう。みんなから置いていかれる不安、何かに遅れまいとする焦り。そんなものが自分の内のリズムを聞こえなくしているのかもしれない。

  一人歩きをするようになって初めて、わたしはわたしの内なる声、自らの真の呼吸というようなものを耳にしたような気がする。
(盛岡市、書家)


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