盛岡タイムス Web News 2013年  10月  6日 (日)

       

■ 貴重な「周ピアノ」と確認 紫波町の平井邸で

     
  平井邸の周ピアノと篤さん(左)、伊藤さん  
  平井邸の周ピアノと篤さん(左)、伊藤さん
 

 紫波町日詰郡山駅の平井邸に保管されているピアノが、明治時代に来日した上海のピアノ職人の作であることが分かった。外国人居留地であった横浜山下町123番地(現在の神奈川県横浜市の中華街)に「周興華洋琴専製所」を構えた周筱生(しゅう・しょうせい)の作で、現存が確認されているのは横浜開港資料館のものをはじめ約20台という貴重なもの。5日に同資料館主任調査研究員の伊藤泉美さんが同邸を訪れ、1918(大正7)年に製造された「周ピアノ」であることを確認した。同社のピアノが東北地方で発見されるのは初めて。郷土の新たな財産の発見に、関係者からは感動の声が聞かれた。

  同邸は、紫波町に元和年間(1615〜24年)から日詰に住み豪商となった平井家の12代六右衛門が、内閣総理大臣に就任した原敬を接待するために新築した屋敷。

  周ピアノは、平井家14代当主の妻・篤さん(84)が嫁入りした際に、盛岡市の実家から持参した。もともとは篤さんの大叔父・工藤全次郎さんの持ち物だったが、篤さんが小学校に入って間もなく譲り受けたという。工藤さんが入手したいきさつは定かでなく、盛岡市と周ピアノの関わりも含めて、伊藤さんが調査を続けている。

     
  周ピアノのマーク。「日本横濱山下町百廿三番地」の文字も読み取れる  
   周ピアノのマーク。「日本横濱山下町百廿三番地」の文字も読み取れる
 


  篤さんは「女学校を出たころ、盛岡で終戦を迎えた。満州から引き揚げてきた方と親しくなり、彼女はバイオリンを弾いていたので、一緒に音楽を楽しんだ。当時は娯楽に飢えていたので、本当に楽しかった」と思い出を語る。「皆さんの目に触れたから、このような発見があった。いろいろな縁のおかげです」と発見を喜んだ。

  2008年、同邸の一般公開の際に花巻市からの見学者が見慣れないピアノに目を留めた。インターネットで周ピアノのことを知り、同邸に知らせた。篤さんがかつて一緒にピアノを囲んだ友人の佐々木紅子さんに話すと、横浜市在住の佐々木さんは喜んで同資料館の伊藤さんに紹介したという。

  伊藤さんは同邸のピアノについた周ピアノのマークを確認し「こんなにきれいに残っているのは珍しい」と話す。慎重に解体して調査を進めると、内部の部品には組み立てた際の印やメモ書きが残されていた。メモからは、アクション(音を出す本体部分)がカナダで1918年5月6日に製造、輸入され、ピアノ本体は同12月27日に同社のピアノ職人李佐衡が、同30日には周筱生が組み立てをチェックしたことが読み取れる。

  同邸の周ピアノは70年以上修理や部品の交換がされておらず、ほぼ製造当時の状態を保っている。弦が一本切れてはいるものの、しっかりとした音も出る。伊藤さんは「部品がオリジナルのままの周ピアノは珍しく、ペダルが3本、響板が2枚重なっているなどこの一台にしかない特徴もあり、今後の課題。周筱生は関東大震災で亡くなり、今年没後90年ということで調べている。これから分かってくることもあると思う」と話した。


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