盛岡タイムス Web News 2013年  10月  23日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉356 伊藤幸子 「野村記念講座」


 あかつきの別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな
                                      源氏物語

 10月13日、あらえびすホールにて「第31回野村記念講座」を聴講した。第1部は林望先生による「謹訳源氏物語」の講演。本書を3年8カ月かけて、全10巻完成され6800枚を書き上げた解放感に満たされておられるようだ。「講演のあと、歌も歌います」と言われ、お話ししたいことがいっぱいという大変にエネルギッシュな先生。私は先生のご本は読んだことがなく「謹訳」も、書店や書評で気にはなっていたが、今回、あらためて先生の原文朗読と解釈の妙に打たれた。なんといってもバリトンの厚み、深みのあるお声で「源氏物語」を朗読される。こんな至福の時に恵まれようとは、「后(きさき)の位も何にかはせむ」の心境だ。

  資料として「葵(あおい)」「末摘花(すえつむはな)」「夕霧」「賢木(さかき)」の巻を先生が原文でゆっくりと読まれる。私は昔からこの原文の魅力がたまらなくて、ひとりで声をあげて読んでいても動悸(どうき)するのだが、今回はまして、しびれるようなバリトンのお声。「男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり」と、情景描写も初々しく、想像力のかき立てられる場面である。

  先生は、源氏物語が分かりにくいのは、主語不明、尊敬・謙譲語が入りまじり、さらに複雑な人物相関図。官位官職、寝殿造り等の建物の構造や生活習慣まで、理解しにくいことだらけだけれど、高水準の恋物語であると解説。おもしろい恋、男の気持ちを如実に描写していると、たとえば雨夜の品定めであり、夕顔若紫さらに源氏の子らの世代まで、切なくも激しい恋模様が描かれる。

  思えば千年前であろうとも、感性全開の思いの器の深さには何ら今の世と変わりはないように察せられる。そんな余韻を漂わせながら、第2部はコンサート。90分も講演なさっても素晴らしいお声で歌われる。

  私は、先生の詞による「あんこまパン」にひきつけられた。そして当日買った先生のご著書「いつも食べたい!」を読んで雷に打たれたように驚いた。「大バリトン歌手であった畑中良輔先生が忽然(こつぜん)として世を去ってしまわれた(2012・5・24)」と書かれ、先生の歌われるのは決まって「あんこまパン」だったとのこと。

  私はこのプログラムをすぐ藤田晴子記念館にお届けした。4年前、開館の時は畑中先生も滞在され「ブル先生の日々是好日」にイラスト入りで書かれている。林望先生の歌に、私はお目もじかなわなかった希代の声楽家の面影をしのび、感動を新たにした。
(八幡平市、歌人)


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