盛岡タイムス Web News 2013年  10月  24日 (木)

       

■  〈岩手からのカナダ移住物語〉77 菊池孝育 BCSC報告書の内容3


 その二 日本国籍者の配置―道路建設(Disposition of Nationals - Road Camp)

  連邦政府が直面した次の課題は1500人もの日本人(日本国籍者)の処置であったが、BC州の内陸部数カ所で行われていた資源省管下の道路建設現場に送ることで解決した。

  その三 日系漁船処分委員会(Japanese Fishing Vessels Disposal Committee)

  日系人所有の漁船に関する政府の対応は、日系漁船処分委員会を漁業省のもとに設置することであった。この特別委員会の設置は1942年2月13日、政令PC288をもって発効した。

  その四 車両、カメラ、武器の没収(Surrender of Moving Vehcles, Cameras, Weapons)

  2月26日、日系人所有の車両、武器、カメラ、ラジオの没収命令の通達が法務大臣から出された。1942年2月2日付の政府通達174に基づくものであった。従ってこれらの物品はRCMPに引き渡され、次に敵性財産管理人(the Custodian of Alien Property)の保管に委ねられた。

  その五 敵性財産管理人

  バンクーバーの敵性財産管理人は内務省の管轄下に、1942年3月4日(PC1665)に活動を開始した。その日から、不動産、私有財産、事業、農場に関連するあらゆる日系財産について責任を負うことになった。

  その六 RCMPによる日系人登録(Registration of Japanese by the Royal Canadian Mounted Police)

  1941年3月、カナダに居住する何千もの日系人(ほとんどがBC州に住んでいた)がRCMPに登録するように命じられたのであった。その登録の記録は次の通りである。

  カナダ生まれ6727人
  カナダ市民権者
        7011人
  日本国籍者 9758人
  米国市民権者   16人
   計  2万3512人

  その時点で、彼ら全員が日系人登録番号を割り当てられた。日本との戦争が勃発した途端、日本国籍者と1922年以降の市民権取得者は、すべて囚人仮釈放者扱いになり、仮釈放者カードと番号が付与された。

 カナダは国籍に関して属地主義を取っているので、カナダ生まれの日系人は自動的にカナダ市民となり得た。カナダ生まれの6700余人はそれに当たる。加えて日本からの移住民の内、既にカナダ市民権を取得していた者は7千人もいたわけである。従って、強制移動および収容対象者の日系人のうち、実に1万3738人(ほぼ60%)はカナダ市民であった。

  このことは戦後、大きな問題となり、日系人によるレドレス運動(日系人が大戦中に受けた不当な処遇=権利剥奪、財産没収、強制移動と収容等に対する補償運動)となった。

  不当な処遇は、交戦国を母国とする敵性民であるからという理由だけではなく、根本的に人種的偏見に基づく、人種差別に由来するものだと主張したのである。

  第二次大戦中、同じ敵性民であったドイツ系人やイタリア系人に対しては、日系人に対するような不当な扱いはなかった。この事実は、明らかに人種的偏見に基づく差別であると日系人は訴えたのである。

  このことに関しては戦後の項で再び触れることにする。


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