盛岡タイムス Web News 2013年  10月  30日 (水)

       

■  〈口ずさむとき〉357 伊藤幸子 「馬琴の家」


 世の中の厄をのがれて元のまま還すは天(あめ)と地(つち)の人形(ひとがた)
                                            滝澤馬琴

 「滝澤家は神事が多かった。信心深い馬琴の指示に従って弁天に祈る巳待(みまち)祭、庚申(こうしん)祭、密教に関する星祭、甲子(きのえね)大黒祭、稲荷祭などそのつど餅、茶、昆布などをお供えする。家のなかは神さまだらけ、おまけに占いの関帝籤(せん)も登場する。馬琴だけではなく、息子宗伯も妻百(ひゃく)も神事に凝っている」

  ここは江戸の戯作者(げさくしゃ)、滝澤馬琴の家である。みちは文政10年(1827)春、21歳で嫁入りしたばかり。夫宗伯30歳、このとき馬琴は60歳。大伝奇小説「南総里見八犬伝」に着手して14年、人気沸騰いまや中間点にさしかかっていた。

  群ようこさんの「馬琴の嫁」を読み、いっぱい笑い、元気をもらった。といっても江戸時代後期。吉宗の享保の改革、松平定信の寛政の改革、さらに浅間山の大噴火、大飢饉(ききん)と世情不安は増すばかり。そんな中での学問芸術の飛躍の原動力となった人々を思う。

  さて、これほど信心深い家なのに、絶えず病魔につきまとわれる。夫は神経質で頭痛持ち、外出すると風邪をひき持病の腰痛で寝込む。姑(しゅうとめ)も腫れ物ができたり、癪(しゃく)が起こり年中騒動をくり返す。そのたびに見舞いや介護の人らが出入りし、馬琴も霍乱(かくらん)に襲われたりする。

  それでも翌年、みちは男児を出産。馬琴は大喜びで大丸に行き、赤ん坊のものを買い膳を整え親類縁者うち集い、明るい声があふれた。ちなみに馬琴の最初の住まいは現在の九段、ホテルグランドパレスのあたりという。彼は精力的に仕事をこなし、創作も家業の薬屋も使用人の手配もし、宗伯と百は互いに病み癇症(かんしょう)に苦しむ。

  あまりに病気が続くのである日、みちは占いに見てもらう。「あなたは今はおさえつけられているが、あなたの苦労はきっと世の中で大きく報われるときがくる」と占われた。

  馬琴は常に家の者の気持ちをひとつにしようと考えをめぐらせる。それにしても病弱な宗伯に安息の日は訪れず、ついに38歳で息をひきとった。みちは30歳で寡婦となり、3児が残された。

  それからのみちの働きは涙ぐましいものがある。馬琴は73歳の時には視力を失い、みちの口述筆記に頼る。老いても姑はみちに嫉妬するのだが二人の作業は夜を徹して行われる。当時の女性は漢字は読まず、書かない。しかしみちは「八犬伝」第177回から筆記を続行、初集発行からまる28年、天保13年に完結した。まさに「世のためになる苦労」を完成させた物語。私は息づまる思いで今も読み続けている。(八幡平市、歌人)


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