盛岡タイムス Web News 2013年  10月  31日 (木)

       

■  〈風の筆〉24 沢村澄子 「人災と芸術」


 先日、美術界の権威から、「変わってるよね。今どき中世の人だよね」と言われた。キョトンとしていたら、次のような説明が付いた。

  「洋の東西を問わず、中世の戦乱の時代には祈りの作品が多く作られた。が、今やもう人は刃物や鉄砲を持って殺し合うことはなく、東日本大震災みたいな天災はあっても、人災はない。それで、アーティストたちは、われがわれがと、自己を主張する作品を作り出しているのに、アナタは変わってる」

  この世に人災がなくなった? まさか! わたしは驚愕(きょうがく)した。と同時に気付く、その人災と闘うべく、書き始めた自分だったということ。

  高校で書道を選択したのは、自分の意思ではなかった。やりたかった音楽は楽器を買わなければならないからダメ。教材費の一番安いものを、と書道選択を勝手に決めた父は、「女・子どもに人権はない。女・子どもに知恵つけてロクなことはない」が口癖で、母は現在でさえ、娘を自分のお人形だと思っている。

  つまり、わたしの子ども時代に自由はなかった。そうした望まぬ選択の、高校の芸術の授業で書を始めたある日、先生から「キミらの中には、紙にぶつけたい思いや、筆に託したい思いはないのか!」と怒鳴られてトツゼン、「ワタシは書くッ!」と百hの電球が胸にともったのだ。

  何を書きたかったのかさえ分からなかった17歳からの30年以上を、わたしはずっと、書で、人間の自由を奪う権力というものに反抗し続けてきた。人災と闘おうとしていた。自覚なきそれにようよう気付いたのが、「中世の人」と呼ばれたその瞬間だったのだ。

  ある新聞記者の「(東日本大震災の)被災者に取材することは、刺さったナイフを抜くようなものだ」という話を聞いた時、うまい比喩だと思ったが、そのナイフは、大きな災害、歴史に残るような天災によってのみ刺さるものではない。

  人は皆、大小いろんなナイフが刺さったまま、血を流しながら生きている。感受性の強いわたしには、子どもの頃からそんなものがよく見えて、「書いてやる!」と一番燃えるのはいつも、目の前で笑っている人の中に落ちる、涙の音を見つける時だった。

  ポツン、ポツンと落ちるその粒の痛みの一音一音をわたしの奥底にある目が見ていて、「書いてやる」「絶対書いてやる!」と思う。

  そうやって書かれてきた歌や詩というものは、要は、人間の悲しみや怒りが変容したものであり、まずわたしは、自らにあるそれらを書をすることで昇華しようとし、次には、それらが人々の中からも消え去ることを祈って書いた。

  書き続ける中身に、昨今いよいよその色が濃くなってきている。

  昨年、ニューヨーク近代美術館を2度目に訪ねた折、10代のころ好きだったムンクやゴッホの画を見て、「こんな個人的問題を画にして見せられても困る」と思ったのである。帰国後、マーク・ロスコを見た時にも同様に思った。

  怒りや悲しみというものが個人の感情から離れて、もっと大きな普遍的な力となって人々に作用する、そんな書が書けたらと思う。

  人々にささった数々のナイフをも溶かしてしまうような、大きく豊かな力に満ちた書を書いてゆきたい。

  やまぬ人災だからこそ、祈り続ける芸術というものもまた、なくなりはしないのだ。
   (盛岡市、書家)


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