盛岡タイムス Web News 2014年  4月   3日 (木)

       

■  沖縄から賢治の里へ 医療には寄り添う姿勢大事 雫石診療所副所長に着任 町田孝さん(51)


     
   沖縄から移住し、雫石診療所副所長に着任した町田孝医師  
   沖縄から移住し、雫石診療所副所長に着任した町田孝医師  

 雫石町万田渡の町立雫石診療所(秋山法宏所長、19床)に1日付で、東京都出身の内科医、町田孝さん(51)が副所長として着任した。常勤医3人体制となり、在宅診療を含めた地域包括ケアシステムの早期構築に期待が集まる。町は7月を目標に、要望の多かった土曜診療と閉鎖した西山、御明神の2診療所跡地を活用し、出張診療を始める考え。町田さんは「患者さん一人ひとりの気持ちをくみ上げていけるようなことをしていきたい」と話している。

  3歳で親の郷里、沖縄県に移住。高校時代は九州で学び、琉球大医学部に入学した。卒業後は、研修医として同大医学部付属病院産婦人科に入局。沖縄県立南部病院産婦人科、同じく県立那覇病院小児科を経て、1997年から父が経営する町田小児科医院に勤務した。その後、まちだ小児科を開業し、12年間院長を務めた。

  「もともと宮沢賢治が好きで、よく岩手を訪れていた」と町田さん。幼い頃から「銀河鉄道の夜」や「やまなし」など賢治作品に親しみ、新婚旅行に花巻を選ぶほど岩手が好きだったという。

  旅行がてら登山にも挑戦するように。「岩手に来ると、沖縄にはない高い山がある」と、いつしか魅せられた。岩手山と早池峰山、それぞれ3回の登山経験がある。

  何度も足を運ぶうちに、漠然と「岩手に住みたい」と夢を抱くようになった。「たまたま1年前から本気で考えるようになり、住むからには仕事を探さなければと思い、雫石町にご縁ができた。小岩井や七ツ森など、賢治とも縁深い土地柄。思い切って決断した」と振り返る。

  5人の子だくさん。雫石には妻と中学生の末っ子の3人で移住してきた。越してまだ数日だが、「とても住みやすい感じがする。道を歩いている時、子どもたちが元気にあいさつをしてくれて、すてきな町だと思った」

  「いい意味で静か」とも。沖縄では米軍基地の近くに住んでいた。航空機の騒音がなくなり、自然の音が身近に感じる。「食べ物もおいしく、気を付けないと太ってしまいそう」とにこやかだ。

  町田さんが沖縄以外で医師活動をするのは、東日本大震災以来。発災から2週間が経過後、沖縄県医師会の支援チームに志願し、大槌町に派遣された。同会が立ち上げた仮設の診療所で1週間活動した。「薬が流され困っている」「風邪を引いた」「夜眠れない」。数々の不安が少しでも軽くなるよう、力を尽くした。

  「医療の仕事でとっても大事なものは、寄り添う姿勢だと身に染みて分かった1週間だった」。専門外の症状にも対応し、満足な支援活動だったか今でも答えは分からない。それでも「寄り添う気持ち」の本質に触れた。「ずばり言うと、その気持ちは忘れていたかもしれない。初心に帰る思いだった」

  癒えぬ悲しみをもたらした大震災。安易に移住の理由にしたくはないが、岩手を強く意識するようになったのは確か。町田さんは「一人ひとりの患者さんに寄り添えるように」と初心を刻み、雫石を選んだ。


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