盛岡タイムス Web News 2014年  4月   7日 (月)

       

■  〈もりおかの残像〉90 澤田昭博 料亭大清水多賀(下)


 ■多賀家宝の扁額「忠孝一致」

  「高松の宮様はなかなか気さくな方でござんした。いつのことでしたか、宴会のあと、マージャンをやるとおっしゃるんでございますよ」「急なことなので、この部屋をあけてお通し申しあげたんです」と語ったのは、多賀本店2代目の女将(おかみ)細川キチ(当時80歳)でした。この部屋には「忠孝一致」七十翁徳太郎の扁額が掲げてあります。「広間を一つ建てたいと藤徳さんにお話をいたしましたら、証文なし、無利子の二つ返事でお借りすることが出来まして、…」「一生懸命、精を出しました。お金も毎日、いくらかずつでもお届けいたしました。大正12年頃、返済が終わった記念に何か」と申し出て、この書をいただき家宝にしています。…

  この話は『擬宝珠の町=盛岡・その素顔』(昭和46年発行)にある川村勝政さんのエッセーの一節です。あまたある盛岡の飲食店ガイドのなかで、これは異色です。百店を見開きの2nに紹介したナイトエッセー集。しかし、各店の人気メニューなど全くありません。長尾宇迦、遊座昭吾、盛内政志といった著名人が、それぞれのオーナーとの思い出を軽妙な筆致で描いた盛岡夜話だからです。見開きは川井鶴亭筆の盛岡城下古絵図を、巻末には黒い盛岡鳥瞰図のなかに百店の位置情報を示した「夜のマップ」が折り込みで付いています。福田常雄装画、村上善男装幀のなんとも凝った一冊です。

  多賀2代目女将の政治家や財界人についての回想は続きます。「鹿島精一先生、大矢馬太郎先生、それに彦次郎先生のお父さま、はい、鈴木巌先生などもよくお越しになられました」「衆議院議長を、おやりになった益谷秀次先生も、谷村貞治先生とご一緒にお見えになり、ジョニ黒やナポレオンがお好きで、すり氷のように、細かく砕いた氷のコップに注いで、おめしになるのが特徴でござんした。おみあしがお悪くがんしたので、みなさんがお膳にお座りになっているのに、お一人椅子におかけになって、まるで昔のお殿様のようで…」料亭ならではの秘話です。

     
  写真@「大清水多賀の広告」『盛岡のしるべ』赤沢號本店発行より  
  写真@「大清水多賀の広告」『盛岡のしるべ』赤沢號本店発行より  

  ■多賀広告と多賀自動車部

  昭和の初期といえばまだ大通商店街はなく、菜園は盛岡農学校の水田地帯でした。この時代を冷凍保存した本が赤沢號本店の『盛岡のしるべ』写真@(昭和3年発行)です。とじ込みの美しい「盛岡市鳥瞰図」があり、盛岡の今昔、名勝巡覧、古跡巡礼、官公訪問、病院紹介、銀行案内、郷土史を彩る人々、郷土芸術、伝説五題、名物と土産物、旅館案内、料理店紹介、劇場活動写真館となんでも取り上げた、まさに盛岡便利帳です。広告欄に、「多賀本店」を見つけました。多賀の外観のほか広告文に「御料理・鰻めし」、「結婚披露」、「一般宴会及び出前」とあります。

  大正7年ころ新たに出店した、八幡町多賀支店も併記されています。大正期になると本館の常連客は商人が中心になり、宴会に多く利用されてきます。大正12年本館が完成、あの176畳敷の大広間が姿を現します。

     
  写真A「多賀自動車部の外国車」盛岡タイムス社『盛岡の老舗』より  
  写真A「多賀自動車部の外国車」盛岡タイムス社『盛岡の老舗』より  


  大正10年ころには大型の外国車2、3台を購入し、お客の送迎をしています。これが広告の中の「多賀自動車部」写真Aという記載で、「市内一円均一」のようでした。

  ちなみに、歴史家吉田義昭氏の著『盛岡事始め百話』で調べると、盛岡で初めて自動車(フォード車)を購入し走らせたのは阿部喜兵衛で、明治43年とあります。盛岡市の統計書で大正4年に1台、昭和31年でも営業用乗用車がわずか77台ですから、先進的な経営手腕といえます。

  中ノ橋通に住む澤井敬一さん(89)から、夕顔瀬多賀本家、味のデパート多賀など多賀系列にまつわる耳寄りな情報を得ました。これらは次回番外編で取り上げます。実は澤井さんも昭和29年、大清水多賀本店の広間で結婚式を挙げておりました。また、親戚の結婚披露宴に3度ばかり招待され多賀本店に行っています。「ゑはがき」のなかに神殿結婚式場と式場へ続く贅(ぜい)を尽くした階段写真Bは、まさに盛岡で最高ランクの老舗料亭を物語っております。

     
  写真B「神殿結婚式場と階段」資料提供 星川克己氏  
  写真B「神殿結婚式場と階段」資料提供 星川克己氏
 


  ■多賀編の豪華版パンフと巨大な秀衡椀

  手元に「水と杜の都で―盛岡空想旅行」という観光情報「大清水多賀編」があります。B2判折り畳むとB5判になり観光客が携帯できるサイズです。盛岡市街図に観光名所を組み合わせたもので、地図の内容から察するに昭和50年代後半のようです。「盛岡空想旅行」と銘打っているだけに、ちょっとした3Dマップの当時としては斬新なものです。観光客向けに「東北屈指の広い日本庭園、園遊会なら2千人もゆったり楽しめる広い庭園。300名収容の大宴会。舞台付の宴会場は、176畳」など、老舗料亭のスケールの大きさをまずPRしています。

  次に、料亭ならではのメニューを載せています。たれはうなぎの味の決め手。老舗ならではの絶妙の味わいが自慢の「鰻御膳」。心が和むおふくろの味「ひっつみコース」。名物の庭園を眺めながら四季をこめた南部料理に舌鼓「松花堂緑高弁当」。南部駒の産地で食べる馬刺しは格別。「さぁもっともっとおあげんせ」が何度も出てきます。

     
  写真C「多賀特注の秀衡椀」盛岡観光情報(大清水多賀編)より  
  写真C「多賀特注の秀衡椀」盛岡観光情報(大清水多賀編)より
 


  表紙を飾るのが、わんこそば2千杯も入ってしまう「日本一の秀衡椀」写真Cです。伝統ある秀衡文様に、チャグチャグ馬コの図案を取り入れた直径60a、高さ45a、蓋重量8`、身重量12`。このお椀はうるみ工芸が制作し、出来上がるまで3年もかかっています。観光客がこの巨大お椀を抱え、わんこそばに挑戦している写真もあります。10杯より、350円のわんこそばもあります。「わんこそば」を食べるとなぜか「盛岡」を食べた気分になるとも。従来の政治家、社長などが利用する高級料理のほか、観光客をも取り込んだ客層へ少し転換しています。

  ■絶品究極の味、多賀のうなぎ

  「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。世界の人々が、日本食はヘルシーな健康食であり、おいしい味付けでいて見た目も美しいと評価したからです。そんな時、140年続いた老舗割烹料亭「大清水多賀」の和食料理は、味の遺産となってしまいました。この絶えてしまった大清水多賀伝統の味が、復活しています。歴代料理長2人により、大通3丁目の「割烹酒場―TAGA多賀」に場所を替え、実は継承されていました。


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